宇土市宮庄町に所在する国指定史跡の

轟貝塚です。

 

 説明板によると、縄文時代前期を中心として、後期まで続く九州を代表する貝塚です。縄文時代早期末~前期の轟式土器の標式遺跡として知られています。古くは大正時代に京都大学によって発掘調査がなされ、その後、肥後考古学会、慶應義塾大学などによって調査が行われました。土器や石器などの他、装身具をつけた人骨も確認されています。

 ここで出土した土器は松本雅明氏・富樫卯三郎氏によってA~D式に分けられています。条痕文が主体となる轟A式がアカホヤ以前、いわゆるミミズばれ状の隆起文が上方に巡る轟B式がアカホヤ後になります。そして轟C・D式は前期後半の曽畑式の後に位置付けられています。ちなみに轟B式から曽畑式への変化が追いづらいですね。野口・阿多タイプ、西唐津式を間に置くとしてもなんかやっぱりスムーズではないような感じがしないくもないような、、、

 

 

 

 

 

 

白いものは全て縄文時代の貝殻です。

 

 

 

※写真は2020年12月撮影