八代市鏡町両出に所在する市指定史跡の

鹿子木量平墓です。

 

 この墓は、鹿子木量平が手掛けた3つの干拓でできた新地の接点に所在します。

 鹿子木量平は、現・熊本市に生まれますが、寛政の大津波の事後処理に手腕を発揮し、文化元年(1804年)に野津手永惣庄屋になりました。その後、干拓事業に着手し、いくつもの新地を作り出しました。

 

真ん中が鹿子木量平の墓です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鹿子木量平を祀る文政神社です。墓の隣に所在します。

 

※写真は2020年12月撮影