天草市五和町二江に所在する

寛政の津波供養碑です。

文化財の指定は受けていません。

 

 この津波供養碑は、寛政4年(1792年)の島原の雲仙岳噴火に起因する眉山崩壊による大津波の死者を供養するために建てられたものです。大津波は、有明海沿岸の村々に大きな被害をもたらし、沿岸部の各地に供養碑が建てられています。市町村指定になっている供養碑もありますが、この二江の供養碑は未指定です。場所は国道389号から少しだけ南に入った所にある集合墓地内になります。大きな災害が多い近年、その存在を見直したい文化財の一つですね。

 

海側から見たところ。

 

アップ写真。向かって古い2基の石碑のうち、左側のものは100年忌にあたる明治20年に建てられた供養碑で、右側のものが江戸時代の供養碑です。

 

奥には津波がきた海が見えます。

 

 

明治時代の100年忌に建てられた碑です。

 

 

 

こちらが江戸時代の供養碑ですが、風化で文字等は読めません。

 

 

後ろから。

 

※写真は2021年12月撮影