天草市五和町御領の黒崎海水浴場横に所在する
寛政の津波供養碑です。
文化財の指定は受けていません。
この津波供養碑は、寛政4年(1792年)の島原の雲仙岳噴火に起因する眉山崩壊による大津波の死者を供養するために建てられたものです。大津波は、有明海沿岸の村々に大きな被害をもたらし、沿岸部の各地に供養碑が建てられています。島原に近い天草市には多くの津波供養碑が残されていて、そのうちの一つがこの供養碑です。
場所は、黒崎海水浴場の南側の集落の中の民家に隣接しているところになります。ここは供養碑だけがあるのではなく、供養碑の下はマウンドになっていて、その中には溺死者が埋葬されているという、どちらかというと「史跡」的な津波供養碑と言えます。
西側から。津波供養碑は写真の左奥にあります。真正面は有明海です。
供養碑は説明板の後ろにあります。斜めに倒れかかっているのがそれです。供養碑の周りはマウンドになっています。
正面の倒れかかっている板碑が津波供養碑です。
文字は風化でよく読めません。
※写真は2022年8月撮影







