熊本市西区横手に所在する

放牛の墓です。

文化財の指定は受けていません。

 

 県立熊本かがやきの森支援学校の隣の墓地内にあります。

 放牛は、江戸時代前期に熊本の城下町に鍛冶職人の子どもとして生まれました。子どもの頃に父親が武士によって無礼討ちにされたため、お寺に引き取られ僧になりました。その後、父の冥福と民の安寧を祈るため100体の石仏建立の願を立てて、享保7年(1722年)から享保17年(1732年)までの間に100体以上の石仏を藩内各地に建立しました。放牛は、石仏100体建立の大願を成就した享保17年(1732年)に亡くなり、この地に葬られたそうです。

 

右側の階段から登っていきます。

 

階段を登ってこのような細い道を進みます。

 

道しるべに従って細い道を進みます。

 

道の一番奥に放牛の墓があります。白い標柱の隣の石仏のところが墓です。

 

少しアップ。

 

正面から。

 

石仏の顔アップ。

 

 

台座。

 

※写真は2020年5月撮影