山鹿市鹿央町合里に所在する市指定史跡の
島已兮の墓です。
県道55号(山鹿植木線)沿いに蚕神社という変わった名前の小ぢんまりとした神社がありますが、そのすぐ隣に「島已兮の墓」が所在します。
「蚕」はこの島已兮と深く関係していて、説明板によると、島已兮は江戸時代に「蚕の神様」とも呼ばれ、肥後国の養蚕業の普及発達に貢献した人物です。元々、現在墓のあるこの地に居住していましたが、藩命を受けて諸国を巡り、得た知識を元に肥後各地で養蚕の指導にあたったそうです。寛政8年(1796年)に75歳で亡くなり、この地に葬られたそうです。
古墳時代の横穴墓のような空間の中に墓があります。下米野横穴墓群の域内になるので、横穴墓の再利用かもしれません。
墓のアップ。
すぐ隣に島已兮の顕彰碑が建てられています。
さらにその隣には蚕神社があります。
※写真は2020年5月撮影




