熊本市中央区細工町に所在する
阿蘇惟光の墓です。
文化財の指定は受けていません。
阿弥陀寺境内の墓地内にあります。境内には他に飯田覚兵衛の墓などがあります。
本堂の南側の一角にあり、白い標柱が立っているので比較的分かりやすいです。
阿蘇惟光は、安土桃山時代の戦国大名で、阿蘇神社の大宮司。父の阿蘇惟種の死により若干2歳で当主になりました。薩摩の島津氏の攻撃を受け、降伏し逃亡しましたが、その後、豊臣秀吉の九州平定に際して庇護を求め、佐々成政に預けられました。
その後、朝鮮出兵の際に起きた梅北国兼の乱に関係した疑いがかけられて秀吉から切腹を命ぜられ、花岡山で切腹しました。わずか12歳だったそうです。
玉垣で囲ってあります。ずっと後ろに見える橋のアーチは九州新幹線のものです。
正面から。何とも言えない組合せの石造物になっています。
左側が惟光の墓と伝わるものです。左右どちらも恐らく五輪塔の地輪、宝篋印塔の笠、五輪塔の空・風輪という何とも言えない組合せです。それぞれのパーツはどれも時代的には16世紀代でよさそうではありますが、、、
亡くなった日付を両側に、そしてその間に「惟光」と刻まれていますが、法名ではなく名前が書かれているのは珍しいですね。
※写真は2020年12月撮影