どもども。
とりあえず静観スタイルから動き始めてみました。
うん。まずはやってみよう。
僕は大学生の時に人間観察が大好きで。まともに学校にも行かずに。行き交う人達を眺めながら勝手な妄想を巡らしていました。
なんら生産性もなくただ時間が過ぎてくコトがとてもダルかった時期でした。
で。
誰しもが必ず考えると思われるコト。
『自分の存在意義』。
で。
若いなりに考えに考えた結論。
『時間が自分の存在を必要としている』。
以下参照。
個人という存在の意義は総合的にみて無意味に思えるが、圧縮された世界観からみるとその意義は果てしない。
運命という過去の産物である偶然という未来は、現在というこの一瞬のみに凝縮され、その都度形を変化させ計り知れない数の道を、目の前に叩きつける。
個人がその一本の指を動かしただけで世界の未来全てが動き、その一瞬が運命として過去に張り付いてゆく。
どこかの国のどこかの村で誰かがその小さな石ころを蹴らなければ日本に原爆は投下されなかったかもしれない。
どこかの誰かが出かける時に右足からではなく左足から踏み出していれば坂本竜馬は殺されなったかもしれない。
世界は時という目に見えないプログラムにより全ての個人のアクションとリンクし連動することにより、現在という一瞬を個人という末端に逆流させ還元してゆく。
パソコンのマウスに触れた瞬間に誕生する命があり消え行く命がある。
それはあくまでも偶然という全ての理論を無視する唯一の未来であり、完全なる希望であり、絶対の絶望という矛盾を兼ね備えた時の性質である。
運命として存在する過去により決定付けられた現在という一瞬は、不安定で不確実な未来と完全に確定した過去の狭間に存在する。
人は無意味な一瞬を行き続けてゆくがその行為により、意味のある過去が形成され歴史という時の連なりに刻み込まれる。
過去の統計によって憶測判断される未来など偶然という確率に比べれば塵にもならぬほど小さなものであり時の流れの中では無力に等しい。
個人という存在はそれ自体がグローバルにリンクしている一瞬の中の存在であり、その個人がいなければ時として機能することはない。
個人の存在は個人が生を受けた以上に未来における偶然性を確実にするものであり、それにより個人の存在の意味をより高めその存在を絶対的なものにする。
過去とリンクしながらも、その存在意義を未来に連動するべき一瞬を生きるべくして存在する個人に、不必要という存在はありえるワケもなく、個人の存在は全生命体にとって、唯一無二な時が依存するべき絶対的存在である。
誰からも必要とされていない存在などいない。
既に時がその存在を認めその存在を必要とし依存している以上、個人としての偶然を受け入れたうえで絶対的な過去を運命として生きていき、そして命絶えてゆくのだ。
全ての偶然を無視した一瞬を生きる生命体に、存在意義のないモノなど皆無である。
などという大学生の頃に書いたメモとも言えぬような内容のノートが先日我が家で発掘されました。
ちょっと笑った。
今日のゆるゆるタイム。川上弘美さんの『溺レる』。時間がさやさやと流れて亀がきゅうと鳴くのですね。進むなぁ…時間て。久々にこんなにもユルユルとした本を読んだ。
ゆるゆる…
。
とりあえず静観スタイルから動き始めてみました。
うん。まずはやってみよう。
僕は大学生の時に人間観察が大好きで。まともに学校にも行かずに。行き交う人達を眺めながら勝手な妄想を巡らしていました。
なんら生産性もなくただ時間が過ぎてくコトがとてもダルかった時期でした。
で。
誰しもが必ず考えると思われるコト。
『自分の存在意義』。
で。
若いなりに考えに考えた結論。
『時間が自分の存在を必要としている』。
以下参照。
個人という存在の意義は総合的にみて無意味に思えるが、圧縮された世界観からみるとその意義は果てしない。
運命という過去の産物である偶然という未来は、現在というこの一瞬のみに凝縮され、その都度形を変化させ計り知れない数の道を、目の前に叩きつける。
個人がその一本の指を動かしただけで世界の未来全てが動き、その一瞬が運命として過去に張り付いてゆく。
どこかの国のどこかの村で誰かがその小さな石ころを蹴らなければ日本に原爆は投下されなかったかもしれない。
どこかの誰かが出かける時に右足からではなく左足から踏み出していれば坂本竜馬は殺されなったかもしれない。
世界は時という目に見えないプログラムにより全ての個人のアクションとリンクし連動することにより、現在という一瞬を個人という末端に逆流させ還元してゆく。
パソコンのマウスに触れた瞬間に誕生する命があり消え行く命がある。
それはあくまでも偶然という全ての理論を無視する唯一の未来であり、完全なる希望であり、絶対の絶望という矛盾を兼ね備えた時の性質である。
運命として存在する過去により決定付けられた現在という一瞬は、不安定で不確実な未来と完全に確定した過去の狭間に存在する。
人は無意味な一瞬を行き続けてゆくがその行為により、意味のある過去が形成され歴史という時の連なりに刻み込まれる。
過去の統計によって憶測判断される未来など偶然という確率に比べれば塵にもならぬほど小さなものであり時の流れの中では無力に等しい。
個人という存在はそれ自体がグローバルにリンクしている一瞬の中の存在であり、その個人がいなければ時として機能することはない。
個人の存在は個人が生を受けた以上に未来における偶然性を確実にするものであり、それにより個人の存在の意味をより高めその存在を絶対的なものにする。
過去とリンクしながらも、その存在意義を未来に連動するべき一瞬を生きるべくして存在する個人に、不必要という存在はありえるワケもなく、個人の存在は全生命体にとって、唯一無二な時が依存するべき絶対的存在である。
誰からも必要とされていない存在などいない。
既に時がその存在を認めその存在を必要とし依存している以上、個人としての偶然を受け入れたうえで絶対的な過去を運命として生きていき、そして命絶えてゆくのだ。
全ての偶然を無視した一瞬を生きる生命体に、存在意義のないモノなど皆無である。
などという大学生の頃に書いたメモとも言えぬような内容のノートが先日我が家で発掘されました。
ちょっと笑った。
今日のゆるゆるタイム。川上弘美さんの『溺レる』。時間がさやさやと流れて亀がきゅうと鳴くのですね。進むなぁ…時間て。久々にこんなにもユルユルとした本を読んだ。
ゆるゆる…
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