【宇宙飛行士が来た】
びわが童子さんに呼ばれて、猫山市自然科学館にやまはちゃんを連れてやってきました。
見知らぬ外国人の男性がいて驚くびわ坊です。
童子さん 「びわ君、この人は私をISSに送ってくれたドラゴン宇宙船のネルソン船長よ」
ネルソンさん「コンニチハ、びわ君」
やまはちゃん「ほら、びわくん、英語を勉強してるんだから英語で応えなさいよ」
びわ 「イ、イッツ アン オーナー ユー、ミスター ネルソン」
びわが「ナイス ミー チュー」よりも丁寧な言葉を使ったのを感心している童子さんとネルソンさんです。
童子さん「ネルソンさんはアルテミス計画にも参加していて、今度月に行くのよ」
びわ 「えー!すごーい!!」
ネルソン飛行士は宇宙航空研究開発機構(JAXA)での会議のため来日し、童子さんにおみやげを持ってくるために猫山市にやってきました。
【アポロ計画で使われたオリベッティ社のパソコン】
ネルソンさんが童子さんに持ってきたおみやげは、アポロ計画で使われたオリベッティ社のパソコン[プログラマ101]でした。
1965年に発売された、美しいデザインの電子計算機でした。
【プログラマ101】
当時はコンピュータと言えば空調の効いた大きな部屋に、スチール製ロッカーくらいの大きさの本体を何台も並べたものでしたが、このプログラマ101は机の上に乗るほど小型化されています。
パソコンという名前は当時は無かったのですが、個人が電子計算機を自由に使う時代を予見させた低価格(と言っても高いのですが)コンピュータでした。
プログラマ101のデザインは工業デザイナー・建築家のマリオ・ベリーニ氏の手によるもので、それまではいかにも専門家しか扱えないような複雑でメカメカしいコンピュータを、人なつこくて可愛らしさも感じるデザインに仕上げたのはさすがです。
プログラマ101にはディスプレイは無く、プログラムの確認や計算結果の確認はプリンタで印字する必要がありました。
記憶容量はわずか240バイト、外部記憶は磁気カードで、プログラミングは機械語で行う必要がありました。
現在3000円程度で発売されているプログラム機能付き関数電卓の足元にも及ばない貧弱な性能の計算機でしたが、当時は小型で低価格(現在の金額で約300万円)な高性能デスクトップコンピュータとして華々しく登場し、世界中で約5万台も販売された名機でした。
プログラマ101はNASAにも10台ほど納品され、月に向かうアポロ宇宙船が現在どこにいるのかを調べる軌道計算を行うために使われました。
オリベッティ社のパソコンやタイプライターは本当に美しいデザインのものが多かったですね。