【猫山市パソコン通信ホストの終了日】
麦ちゃん 「文字だけのネットなんて見ていてもつまらないわねー」
童子さん 「当時はこれでも楽しかったらしいわよ」
やまはちゃん「ネットの[5ちゃんねる]も文字だけだけど、面白いこと書いてることもあるわよ」
麦ちゃん 「あー、そんな感じで当時は盛り上がってたのね」
猫山市役所が1988年から始めた市民向けパソコン通信「NeCo-NET」のサービスが終了ということで、童子さんは当時の通信パソコンでNeCo-NETにアクセスして掲示板に書き込みしています。
【通信パソコン[MZ-2500V2]】
以前記事にした、シャープの通信パソコン[MZ-2500](1985年)です。
この機種は1986年に発売されたメモリ増設機のMZ-2500V2です。
左横にある電話機は、電話回線につないでデータ通信を行うモデム内蔵電話機「モデムホンMZ-1X19]です。
それまでは電話回線を使ってのデータ通信は国営公共企業体の日本電信電話公社(電電公社)が一社が運営・管理を行っていて、端末の電話機やデータ通信装置も電電公社に認定を受けた通信機メーカーしか製造販売できないことになっていました。
1985年に電電公社が民営化され、日本電信電話株式会社(NTT)となり電話回線が一般に開放されるとともに、それまで電話機やデータ通信装置の製造販売の電電公社認定企業となっていなかった電機メーカーも、総務省の技術基準適合証明(技適)に合格した製品であれば製造販売できるようになり、一斉に電話機やパソコン通信対応モデムを発売しはじめました。
それまでのダイヤル式の黒電話や古風なデザインのプッシュホンから、白やパステルカラーのデザインに凝ったプッシュダイヤル電話機が多くの電機・通信・オーディオメーカーから発売されるようになったのがこの頃です。
【パソコン通信が始まった】
モデムホン[MZ-1X19]の3Dモデルです。
1985年にパソコン通信が始まりましたが、電話回線を通してデータ通信を行うモデム(復変調装置)はまだ高価で、上のモデムホンは98,000円もしました。
また、データ通信の速度も300ボー(通信速度の単位で使われるbpsとは違いますが、300ボーに関しては300bpsです。現在の光回線は100~200Mbpsなので、実に数十万倍も遅いものでした)しかなく、一秒間に20~30文字のテキストがだらだらと流れるのが目で追えるくらい遅いものでした。
「パソコン通信って言うけど、何が面白いの?」と当時の私も思っていて、この頃に「通信パソコン」を銘打って登場したPCは、MZ-2500はじめ最大手のNECが発売したPC-8801mkⅡTRも見事に討ち死にしてしまいました。
漫画家のすがやみつるさんはじめ、当時のITライターが、パソコン通信を使っての電子メールや掲示板の楽しさ便利さを書籍やメディアでPRしたことで、徐々にパソコン通信の認知度も上がっていき、使い勝手のよいパソコン通信ホストのNIFTY-ServeやPC-VANが登場したおかげで、90年頃にはパソコン通信人口も増えていきました。
1995年の阪神淡路大震災では、はぐれた家族の安否の確認や必要な支援物資の要請などにパソコン通信が大きな活躍をし注目を集めました。
Windows95が登場しインターネットブラウザのInternet Explorerが標準でバンドルされたこと、ISDN通信網が全国展開されたことで、パソコン通信を包含する形でインターネットが普及し、純粋なパソコン通信ホスト局は次々と姿を消していきました。
今でも残るパソコン通信ホスト局としてはんぞーBBS(←公式サイトへのリンク)さんがあります。
ちょっと手間はかかりますし、おそらく普段は使わないDOS窓(コマンドプロンプト)を使うことになりますが、テキスト文字だけが表示される当時のパソコン通信を体験できますよ(^-^)
今日は休みが取れました!
が、今週は疲れがたまっていて昼近くまで寝ていました(;^_^A