シャープが、いよいよ台湾の電子機器メーカー「鴻海精密工業(Foxconn)」の
傘下に入り、経営の立て直しを図ることが決定しそうです。
私はシャープのパソコンをずっと使っていたこともあり、思い入れの深い企業だったので、
自力での再生ができなかったのは残念ではありますが、政府系ファンドの産業改革機構に
よる再生案よりも、よりアグレッシブな再生案を提案している鴻海による再生のほうが
期待ができるのではないかと思っています。
シャープが輝いていた80~90年代
世界初の電卓(電子式卓上計算機)を1964年に開発・発売したシャープは、そこで培った
半導体技術・液晶技術を基に、1980年代から90年代にかけて、次々と画期的な商品を
市場に送り出してきました。
パーソナルコンピュータもその一つで、1979年に8ビットパソコンのMZ-80Kを発売し、
以後、テレビとPCを融合したパソコンテレビX1シリーズや、16ビットPCのX68000など、
日本のパソコン文化の発展に、日本電気(NEC)、富士通、東芝とともに大きな影響を
与え続けていました。
【8ビットパソコンMZ-80B…1981年】
1980年のPCは、モノクログラフィック320×200ドットやカラー8色160×100ドット程度の
グラフィック能力しかなく、サウンドも音階付き単音やブザー音のみと貧弱でした。
処理速度やメモリーも、今のPCの数十万分の一しかありませんでした。
私とシャープPCの付き合い
以前も記事にしましたが、私が最初に手にしたコンピュータはシャープのPC-1211という
ポケットコンピュータ(ポケコン)でした。
文字表示のできる液晶ディスプレイ、本格的なプログラム言語BASICが使える世界初の
ポケットサイズのコンピュータでした。
1980年当時はPCは20~30万円程度と高価でした。しかしポケコンは3万円程度と安価で、
当時、高校生や大学生だった方は、このポケコンが初めてのコンピュータだったという方が
多いと思われます
このポケコンはシャープのお家芸の電卓技術と液晶技術を応用した画期的な商品でした。
後に電子手帳、PDA(携帯情報端末)、スマートフォンに続いていく商品です。
その後、8ビットパソコンMZ-2000、X1turboZ、16ビットパソコンX68000とシャープ製PCを
使い続け、Windowsの時代になってもシャープ製PCのMebiusを使っていました。
もし私が一番最初に手にしたPCがNEC製のものであったら、NEC一辺倒になって
いたかもしれませんが(^▽^;)
携帯情報端末ザウルス
【ザウルス・アイゲッティMI-P1…1999年】
スマートフォンの先祖です。
できることはスマホから通話だけを取り去ったものと言ってよいでしょう。
電子手帳から発展したPDA(携帯情報端末)としては、日本では1987年に発売された
ザウルスが初のものです。
ザウルスはのちにカラー画面になり、インターネットも使えるようになり、ビデオ再生や
音楽再生、ダウンロードしたゲームをプレイできるなど、本当に今のスマホから通話機能
だけがないものにまで進化しました。
このザウルスにも夢中になりました。
2000年から2003年までの間、シャープはザウルス向けに特化した画像配信もできる
メールマガジン「ポストマガジン」を提供しており、私もここでマンガを配信していました。
【配信していたマンガ「水色きんぎょ鉢」】
人魚が主人公のSFマンガでした。
ザウルスの画面サイズと当時のモバイル通信事情(従量制で高額でした)もあり、
画像サイズは320×240ドットモノクロ、数ページまでと制約がありましたが、配信していると
読者さんからのコメントなどもいただいて楽しかったです(^-^)
シャープのザウルス部門の方ともお会いしたり、このころが一番楽しかったです。
液晶テレビで迎えた繁栄と衰退
シャープが初めて実用化した液晶は、その後高精細化・カラー化し、いよいよテレビにも
使えるようになりました。夢の壁掛けテレビの登場です。
1986年にシャープが15インチカラー液晶ディスプレイの試作品を発表したのをパソコン誌で
見た時に、いずれカラーノートPCや液晶テレビが登場するのではと楽しみにしていました。
液晶技術で他社の追随を許さなかったシャープは、のちに液晶応用製品を次々と発売しました。
今では当たり前になりましたが、液晶ビューファインダー付きのビデオカメラレコーダや、
液晶プロジェクションテレビ、タッチパネル液晶を用いたペンコンピュータ「ザウルス」など、
これらの製品群が90年代のシャープ絶頂期を支えていました。
2001年に液晶テレビのブランド「AQUOUS(アクオス)」を立ち上げると、アクオスはたちまち
国内テレビ最大のシェアを取るにいたりました。
この大きな成功体験こそが現在シャープの衰退に至る最大の原因だったというのは過去記事
でも書きましたし、他にも同様な分析をされている記事が多くありますので省略します。
ただ残念なのは、この頃(2001年以降)から、シャープは液晶テレビへの「選択と集中の方針」を
取り、情報機器や新世代半導体の研究開発を大きく縮小し、白物家電の新規開発もあまり
精力的にはならなくなり、私が欲しくなる魅力的な商品がシャープから出てこなくなったことです。
やがて液晶テレビは、韓国サムスン社や韓国LG社、中国TCL社の追い上げに会い、価格的
優位性を持てなくなったシャープの液晶テレビは世界シェアを大きく落としていきます。
シャープの惨状を招いたのは、この液晶一本足打法に舵取りを行った4代目町田社長、
5代目片山社長の責任が非常に大きいと思います。
日本発の製品群に魅力が失われた
と、私はつぐつく感じます。シャープだけの問題ではありません。
今、私が使っているノートPCは台湾ASUS製です。タブレットもASUS製です。
日本製のIT機器は価格面だけでなく、先進性やデザインでも台湾・中国製品に負けていると
思います。液晶テレビも正直言えば韓国サムスンや韓国LG製のほうがデザインが優れています。
なぜこうなったのか、経済コメンテータが色々分析していますが、明快な答えはありません。
私が思うに、作り手に「夢」がなくなったのが原因のひとつではないかと思います。
経営陣や株主の顔色をうかがう仕事ばかりしているうちに、現場では夢のある商品が作ることが
できなくなったのかもしれません。
今、夢のある仕事をしているのは…Googleとかテスラといったアメリカのベンチャー発の企業だと
思います。かつての日本にもそのような夢を追い求める企業があったと思うのですが…。
【3Dきなこ】
猫マンガに登場する、人間の姿に変身した時の

普段はおでんの屋台を引いていますが、ネコ田大学大学院卒業の理学博士で、
人間の姿の時はモンフチ電機の社外取締役です。
以前の記事にも書きましたが、モンフチ電機創業者の紋縁さんはシャープ創業者の
早川徳次さん(の他にも松下幸之助さんや本田宗一郎さんも混じってます)がモデルです。
努力の人であり人格者でした。
シャープの経営危機を元ネタに描いたマンガがこちら(全10話)↓
猫マンガ557…再建屋きなちゃん(第1話)
まあ、私が考える程度のネタなので、こんなに簡単に再建なんてできないんですけどね(;^_^A
企業を百年続けるのは大変ですが、潰すのは一瞬です。
シャープは百年の節目を過ぎ、ここにきて大きな転換点を迎えました。

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