私にとって大事なブロ友さんの愛猫が亡くなりました。
ひょうきん者でとても愛嬌のある兄さん猫でした。
一度直接会ってみたかったな…。
猫に限らずですが、ペット(という言い方は好きではないのですが)と一緒に暮らしていると、
人との寿命の差のせいで、どうしてもペットとの死別は避けられません。
【愛猫との別れ】
愛猫との別れの辛さは、体験した者でしかわからないと思います。
私のハンドルネームの「こむ」は、初めて飼った愛猫の「こむぎ」から取っています。
愛猫のこむぎは茶トラ白のオス猫でした。私たちは「こむちゃん」と呼んでいました。
こむちゃんは平成22年の7月に19歳で亡くなりました。
こむちゃんの連れ添いだったサビ猫の「くりちゃん」は、その二年前の平成20年の9月に
17歳で亡くなりました。
人でも猫でも生老病死は避けられません。猫も老いてくると病を患います。
くりちゃんは慢性腎不全で、こむちゃんは心筋症で亡くなりました。
特にこむちゃんは、晩年の一年半ほどは自力ではほとんどごはんを食べなくなってしまい、
妻が強制給餌をしていました。
この頃には、子猫だったきなこと銀ちゃんがうちにいました。
きなこと銀ちゃんにとって、やさしいお爺ちゃんになっていたこむちゃんを、この頃から
「こむ爺」と呼ぶようになっていました。
しかし、きなこと銀ちゃんが、こむ爺と一緒に暮らしたのはわずか一年半ほどだけでした。
最晩年のこむちゃんは、心筋症からくる胸水のために、苦しそうに息をしていました。
治療も受けていたのですが、薬に対する反応もやがて悪くなっていきました。
こむちゃんの最期を看取ったのは、妻ときなこと銀ちゃんでした。
私はその時は仕事のために、こむちゃんの最期を見届けることができませんでした。
こむちゃんの亡骸と対面できたのは、その翌日になってしまいました。
仕事先からの移動中は、すでに覚悟ができていたのと、いつも水に溺れているような状態の
苦しさで息をしていたこむちゃんの姿を思い浮かべ、「これでよかったんだ」と自分に
言い聞かせていました。
おそらく、感傷に浸ることはあっても泣くことはないかもしれない、とさえ思っていました。
ところが妻のもとに着き、こむちゃんの亡骸を見た時に、大の大人が大声を出して
泣いてしまいました。頭がおかしくなってしまうくらいの泣き方だったと思います。
二十年近く私のそばにいて、小さい頃はかわいい子猫で、十歳を過ぎてからは、
言葉こそかわせないものの、いつも寄り添っていてくれた私の相棒との暮らしの
思い出が一気に押し寄せてきました。
【それでも猫とともに暮らそう】
「もうこのような辛い思いをするなら二度とペットは飼わない」という人がいます。
ですが、辛く悲しい思いは確実に時が癒してくれます。
「忘却とは忘れ去ることなり…」と言いますが、無理にこの悲しさを忘れなくてもかまいません。
時間が経てば、かつての愛猫との暮らしが、とても穏やかな思い出に変わっていきます。
人によって違うかもしれませんが、私の場合は一ヶ月ほどかかりました。
こむちゃんの火葬の時に、ペット斎場から生まれたばかりの捨て猫だった楓と麦ちゃん、
そして空ちゃんをもらったことも良かったのかもしれません。
新しい猫との暮らしは、決してかつての愛猫を忘れることではありません。
【ブログで猫との思い出を綴る】
私がブログを始めたきっかけは、愛猫のこむぎの死です。
それと同時に、今ここにいる、きなこと銀ちゃん、楓と麦ちゃん、そしてぐらの記録を
残すためでもあります。
猫の写真や、その時の天気や猫の体調、身の回りの出来事をブログに残しておけば、
それは後々よい思い出として読み返すことができるはずです。
毎日でなくてもかまいません、思いついた時に猫たちの記録をブログに残す。
写真とは違い記事として文章も残すことでしょうから、「あの日はあんなことがあったな」と
克明にその時の事を思い出すことができるでしょう。
【猫から学ぶこと】
私は猫と暮らしてほんとうによかったと思います。
私と妻との関係を良好にしてくれているのも猫たちです、「猫はかすがい」です。
どれほど立派そうな人が美しい言葉で「愛」を語っても、物置で暮らしているノラ猫の
ごちゃさんが子猫たちに向けていた愛情にはかなわないでしょう。
私は「学ぶ」ということは、偉い先生や、有名な講師から学ぶことだけではなく、猫や犬といった
人と変わらぬ感情を持った動物からでも、いくらでも教わることがあると思っています。
語弊があるかもしれませんが、愛猫との死別、これもひとつの貴重な体験です。
猫と暮らすことは猫から色々なことを教わることでもあると思います。
愛猫との死別はとても悲しく辛いことです。
でも、時間はかかりますが、その悲しみもいずれは優しく穏やかな気持ちに昇華していきます。
愛猫の死を超えて得たものが、あなたの愛猫があなたに与えてくれた最後の贈り物だと思います。