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ヨコ美クリニック院長今川の学会報告/旅行記

25年以上の実績を持つ植毛・自毛植毛専門のヨコ美クリニックの今川院長が、海外の学会報告や旅行記を紹介していきます

5月11日~13日に中国・北京で開催された第6回アジア毛髪外科学会(AAHRS)と第3回中国毛髪外科学会(CAHRS)の合同会議にAAHRSの会長という立場で出席しました。

 

 

●3人のレジェンドが顔を揃えた歴史的な学会

 今回は両学会を合わせると500人以上が参加予定。しかも、ウイリアム・ ラスマン(1990年代半ばにFUTの理論を展開、2002年に初めてFUEを発表、2011年に初めてSMPを発表。)、ウォルター・ アンガー(現在まで5版にわたるロングセラーの植毛のバイブル本を出版。)、リチャード・シール(1984年にAGAの分類で名高いオター・ノーウッドと一緒に有名な植毛の書籍を出版。引退後の今でも植毛界のパイオニアとして慕われている。)のレジェンドといえる3カリスマ植毛医が一堂に会するという、前代未聞の歴史的な学会です。

 特に、十年以上前に現役を退いているリチャード・シールが10数年ぶりにコメンテーターとして参加してくれたのは嬉しい限りです。15年くらい前に彼と私は国際毛髪外科学会(ISHRS)の人工毛植毛の是非に関する特別委員会のメンバーとして、一緒に宮崎県の都城の人工毛の製造工場を視察し、その後私のクリニックにも立ち寄ってくれたことが昨日のことのようです。今回北京に来てくれたことが「ひとえに私のおかげ」とまでは言いませんけど(笑)。

 

5月8日 (火)

会長として事前のミーテングがあるため8日(火)に先乗りしました。

正午過ぎの北京国際空港のイミグレーションはあいかわらず大混雑。一時間以上かかってやっと無事外に出て、迎えの車でコンチネンタル グランド ホテルへ。ホテルはオリンピック公園の鳥の巣に近い国際会議場と連絡通路でつながっていてアクセスがとても便利です。

 

 

●一流ホテルでも英語が通じにくいのがちょっと・・・

打ち合わせは夕方のためチェックインを済ませ、北京の銀座ともいえる「王府井」(ワンフーチン)に行って時間をつぶすことに。タクシーを頼む際に、ロビーで英語が通じるベルボーイを探すのにとても苦労しましたが、なんでも王府井はホテルから15キロの距離とのことです。大渋滞で一時間以上かかったにも関わらずタクシー代は32元で500円足らず。安い! 昨年は冬物の背広をゲットしましたが、今回は気に入った夏物もなく、他に予定の買い物もないので、「同仁堂」という清朝から続く老舗漢方薬局の支店に立ち寄ることに。繁華街をぶらぶら歩いて目的のお店を探したのですが見つかりません。歩いている人に尋ねても英語がまったく通じない。あきらめてホテルに戻ることにしました。「地球の歩き方」によると、流しのタクシーはぼられることもあるのでタクシー乗り場からのほうが安全とのこと。探しながら歩いてのいると、ちょうど超一流とされる北京アストリアホテルの前に。宿泊客を装って車寄せにいたベルボーイにタクシーを頼んでも、これまた英語が通じない。自分の英語のせいか(?)。英語の話せるスタッフがやって来て、「ホテルのタクシーを手配します。」と言ってくれたので一安心。北京はとてもきれいで大都会なのですが、英語が通じにくいのがちょっと・・・。ただホテル専用の黒塗りのタクシーでも帰りのメーターは行きの2倍ちょっとで80元。安い!

 

 夕方からホテルのレストランで、タイのD・P、台湾のW、中国のJ, W両先生と学会のスタッフらと食事しながら打ち合わせ。その場にラスマン先生も偶然鉢合わせして一挙に盛り上がり、会食後一同学会場に移動。椅子の配置など細かいことすべてを深夜近くまでチェックしました。初日からお疲れ様です。ホテルに戻ったときはぐったり、バタンキューです。

 

 

●テレビ取材でメイクされて、恥ずかしいやらうれしいやら

 

5月9日(水)

 この日は最終日にワークショップが行われる美容形成の総合病院(学会のスポンサーでもある)に欧米から招待した植毛医達と一緒しました。一同入ってすぐに四角いプレート(中は金色の粘土)のようなものに手形を押しました。まるでハリウッドスターになったような気分です(笑)。その後は参加者全員で病院の施設を見て回ることに。

 

 

午後、ホテルに戻って夕方まで演題の内容確認など、本番に向けて最終打ち合わせ。

 その夜は某テレビ局のインタビューを受けたのですが、メイク(化粧)までされてしまいました(笑)。“中国の植毛のレベルをどう思うか?”など外国の医師の意見をとてもききたがっている様子でした。またFUT とFUE の違いなどについてかなり突っ込んだ質問も受けました。

 

 

夕食はホテルの近くの北京ダック専門店「便宣坊」でお店自慢の中華料理を堪能。もうお腹はパンパンです。

 

5月10日(木)

 朝から別のテレビ局の取材。アンガー先生と一緒に、また中国の植毛事情についてインタビューを受けました。テレビカメラの前でしかも英語でコメントするのはとても緊張します。質問を正確に聞き取って、相手が知りたいことを答えなくてはならない。しかもアンガー先生が横にいるので下手な英語は話せません(汗)。そうそう取材の前、朝食のテーブルでのことです。アンガー先生から“君はFUT をどれぐらいやっている?”と突然尋ねられてすこしびっくりしましたが、“今でも半分以上はFUTで対応します。“と答えたら笑顔でうなずいてもらえました。彼はどうやら最近の学会でFUTの発表が少ないことが不満のようです。“最近はFUEしかやらないクリニックが増えているが、彼らの悪い結果は20年以上前のミニマイクロ植毛の時代よりもっとひどい”とか、“今回の学会はFUT とFUE二つの術式をバランスよく紹介しているようなので参加の招待を受けることにした。”ともいってくれました。彼は大久保彦左衛門のような存在で、少々気難しい性格と思われているむきもあるようですが、私にはとても親しく接してくれます

 

 

●いまだに残っているニーハオトイレ

 午後、少し時間に余裕ができたので「前門(チェンメン)」へ。ホテルからは少々遠く天安門の反対側にあって、ここは北京の古き良き時代を象徴する独特な風情を感じさせる街。お茶、洋服、アクセサリーなどの店が軒を連ね、歩いているだけでも楽しくなります。初日に見つからなかった漢方薬局同仁堂の本店がここにあると聞き、その店に行くのも目的でした。ここはとても大きな店構えで漢方医が健康状態を診断した上で処方するというスタイルです。私は昔の量り売りのようなものをイメージしていたのですが、いまでは薬はすべて箱詰めされていたので少々ガッカリです。言葉の問題もあって結局、何も買わずに店を出て、その足で近くの胡同(フートン)へ。

 胡同とは北京の旧市街を中心に点在する細い路地のこと。大通りから路地に一歩足を踏み入れると、古い煉瓦造りの家並みが広がり、まるでタイムスリップでもしたかのような気分になります。

 この辺りは公衆トイレも多く、その中の一つに入り奥を覗いてみると、囲いのない便器がズラーっと並んでいます。これが俗に言う「ニーハオトイレ」ですね(笑)。

 かなり歩きましたが、結局買い物はお土産用の真空パックの北京ダックだけでした。

 

 

5月11日(金) 学会初日。

 用意した500席では足りず、立ち見まで出る盛況ぶり。私の開会の挨拶で学会はスタートしました。

 AAHRSからの参加は約100名とかなり少ない。日本人にはぴんときませんが、中国はビザの取得がきびしく、パキスタンの友人医師などは業者から1000ドルの手数料もふんだくられたと怒り心頭です。また、会場の販売ブースも中国国内の業者が圧倒的に多かったのは、おそらく通関がうるさいので外国企業からは敬遠されたのでしょうね。朝早くから多くの発表が続きましたが、どちらかというとテーマはFUEが主体でした。

昼休みはまたテレビ取材。これで3回目です。植毛に対するマスコミの関心が高まってきているという証拠かもしれません。

ちなみに確認した限り日本から今回参加していた医師は私を含めたった3人だけです。どうも最近日本人医師は内向きになって、海外の学会にはあまり出向きません。逆に中国人は大金を使ってでも新しい知識を貪欲に吸収しようとしていますし、おそらくごく近いうちに植毛のレベルも日本を追い越すに違いありません。 いやもう追い越しているかもしれません。

 

 

●晩餐会では誕生日のサプライズに大感激!

 夕方からはガラディナー(晩餐会)です。部屋に戻り、CAHRSからプレゼントされたシルクの中国服に着替えてパーティー会場へ。

 

 

開宴の挨拶をするために縁台に上がると、司会のD.Pが「会長のドクター今川です。今日が彼の誕生日です」と紹介。会場は割れんばかりの拍手、と同時に誕生日の音楽が流れ始めました。このサプライズにわたしも大感激です(感涙)。

 

 

パーティーには世界中の名だたる名医が顔をそろえ、ダンスやカンフーのショーを観ながら、巨大な回転テーブル(重くて回せない)を囲んで飲んで食べて大いに盛り上がりました。途中、賞の授与式で私はプレゼンター役、私自身も外国人奨励賞(FOREGN FACULTY AWARD )をいただきました。 

 

 

●定着しにくい腋毛への植毛で数多くの実績!

 

12日(土)

 学会の2日目はFUT中心に熱い議論が交わされました。

 私は午後のセッションでSMPの演題を発表。参加者の皆さんは、とても熱心に私の発表に耳を傾けてくれました。

 

 

13日(日)

 最終日はワークショップ。200人以上が収容できる病院の講堂には3つの大型スクリーンが備え付けられ、ビデオ中継でオペの模様が映し出されます。

第1手術室ではイタリアの外科医P・Tが女性の生え際修正を、第2手術室では中国の女性医師Lが眉毛とまつ毛を、そして第3手術室では私が腋毛植毛を担当し、3つのオペが同時進行で行われました。私の患者は両側の腋窩にひどいやけどによる傷跡のある男性です。おそらくワキガの手術の失敗例でしょう。

 

 

腋窩への植毛は定着しにくいというイメージのために敬遠されがちなのですが、私はこれまで多くの症例を経験し、近々出版される英文医学書にもこのトピックについて執筆した原稿を見たD.Pが、CSHRSに私を推薦してくれたのだと思います。インドの植毛医K・DがFUEで株を採取した株を、わたしとタイのナースが植えつけるという段取りです。

オペは地下の講堂の参加者と英語のやり取りで行うので、けっこう緊張しましたが、なんとかうまくいったと思います。

 

 

●ポーランドの若手植毛医とチベット仏教寺院を見学

 ワークショップのあと、ポーランドの若手の植毛医A・Kと「雍和宮(ユンホーゴン)」に行く約束をしていました。彼はマニュアルパンチによるFUE専門医で、以前私のクリニックで研修したことがあり、今回私が会長を務めることを知って、わざわざポーランドから来てくれたのです。3時にホテルのロビーで待ち合わせて向かいました。

 雍和宮は清朝時代に建造された中国最大級のチベット仏教寺院。広大な敷地には漢、チベット、満州、モンゴルといった多種多様な建築様式の建物が寺院沿い並び、色もカラフルで見る目を楽しませくれます。

 

 

散策中、「先生の誕生日を祝ってワインでも?」という彼の提案にはもちろん了解。

そうと決まったら即行動。そこから地元の人気のスポット「什殺海(シーチャーハイ)」へと移動しました。湖沿いのちょっとお洒落なミュージックバーでワインを飲み、その後は去にも訪れた「全聚徳」という北京ダックのお店に行って食事をしました。とても良い気分でお酒も進み、気がつくとだいぶ遅い時間になっていたので、そこでお開きに。

 彼にスマホでタクシーを呼んでもらい、運転手に行き先を告げると「恭喜,谢谢(かしこまりました。ありがとうございます」と調子のいい返事。と、そこまでは良かったのですが、到着してタクシーを降りると、そこは別のホテルです。気づいたときにはタクシーは去った後。しかたなくスマホのナビを頼りに真っ黒な夜道を小1時間ほど2人で歩いて、ホテルに戻ったころにはすっかり酔いも冷めていました。

とはいえ、わざわざ遠くから来てくれたA.Kと一緒に誕生日を祝うことができ、とてもいい思い出になりました。

 

14日(月)

朝7時にホテルを出発し、10時45分のJAL機で無事に帰国。