ミランダと話して、

現実を見ざるをえなくなった。


というより、世間が

現実を突き付けてきたのだ。


誰もが現実をしっかり見ろと言う。


でも、現実を見るということは、

苦しいことだ。


恐いし、ブルックリンまで

行かねばならない。



つまり否定は、

ツライ時期を乗り越えるための

自己防衛。


現実を認めない否定の時期が

必要なのだ。


否定は友達か、

それとも敵なのか?



人生の変化を認めず否定するのは

子供っぽいかもしれない。


でもその夜、

私達はその場を動かなかった。


なぜなら、

親友は離れないものだから。


愛するマンハッタンからも。