不確かな人生は

生きる価値がないという。

でも、

人生をチェックすることが

人生になってしまったら?


それは人生ではなく、

先延ばしというものではないか?


それに、友達とのランチや深夜の電話が

堂々巡りのお喋りをするだけで、

結局、何の行動も起こさないものなら、

もう失望を断ち切る時ではなかろうか?



キャリー:
「ミランダもシャーロットも前に進んでる。
サマンサでさえ、変わってきてる。
ニューヨークでずっと、自分の人生をネタにしていくか、
彼といて、自分の人生生きるか…!」

ミランダ:
「あの男の人生じゃない!
キャリー!あんたが心配だから言ってんの!」

キャリー:
「はっきり言えば?彼が嫌いだって!」

ミランダ:
「そうよ、あの男は嫌いよ!」

キャリー:
「じゃぁ、ミランダはパリに行かなきゃいいじゃないの!」

ミランダ:
「あんたは夢を見てるだけ!」



夢を見てるだけかもしれない。


そう、夢を実現させてくれる男を

見つけたのだ。


もう、質問するのはやめた。

どうやって馬のソリを見つけたのかも

もう聞かない。

それも、マンハッタンの真ん中で。
よく、正反対の相手に惹かれると言うが、

その期間はどのぐらいなのか?


恋愛の達人なら、

仕事と友人という薪を使って、

情熱の炎を掻き立てるべきか、


それとも、


燃えるような恋が出来ただけで

満足すべきか?



お互いの世界を共有できなければ

どんなに熱い恋も

いきなり終わってしまうのか?
ミランダと話して、

現実を見ざるをえなくなった。


というより、世間が

現実を突き付けてきたのだ。


誰もが現実をしっかり見ろと言う。


でも、現実を見るということは、

苦しいことだ。


恐いし、ブルックリンまで

行かねばならない。



つまり否定は、

ツライ時期を乗り越えるための

自己防衛。


現実を認めない否定の時期が

必要なのだ。


否定は友達か、

それとも敵なのか?



人生の変化を認めず否定するのは

子供っぽいかもしれない。


でもその夜、

私達はその場を動かなかった。


なぜなら、

親友は離れないものだから。


愛するマンハッタンからも。
ミランダが自分を責める言葉

を聞いて思った。


女性の間に、

「こうするべき症候群」が

広まっているのではないかと。



子供と、完璧なハネムーン。

それは

欲しいと望むものなのか、

それとも、


手に入れるべきと思って

追求するものなのか。



ヤバイと思うのは

この症候群。


世間的プレッシャーに

よるものではなく、

女なら

本能的にかかってしまうということ。



どうして自分の心より、

理想を優先してしまうのか?
ニューヨーカーの特権。

それは、

自分の気持ちに砂糖をまぶして

嘘をつかなくてもいいこと。


しかし、ニューヨークの女性は

本当にシュガーフリーに

なったのだろうか?


本物のアイスの変わりに、

低カロリーアイスを食べ、

愛の歌の変わりにEメールを送り、

詩の変わりにジョークを連発。


これでは、

本物に向き合う状況になった時、

消化不良を起こす。


努力すれば、

消化できるようになるのか?


それとも、我々は、

ロマンスアレルギーに

なってしまったのか?