いわゆる「キラキラ女子」や「美人OL」としてカースト上位に君臨する女性たちは、単に容姿が優れているだけでなく、徹底した「イメージ管理」のプロフェッショナルです。

彼女らが守っているのは、自分たちが属する空間の「美しさ」や「清潔さ」という幻想です。

しかし、なぜ自分たちも人間である以上避けられない「放屁」という行為が、他者、特にカースト下位とみなす対象によって行われた際、彼女らからの猛烈な攻撃対象となるのでしょうか。



まず、カースト上位の美女たちにとって、自らの身体は一つの「ブランド」です。

そこには「生活臭」や「生々しい生理現象」を感じさせない、脱俗的な美しさが求められます。

もちろん、彼女らも一人の人間ですから、時と場合によっては匂いを伴う放屁もするでしょう。

しかし、彼女たちはそれを徹底して「隠蔽」します。

身内やプライベートな空間では許容されることが有っても、不特定多数が集う公の場では絶対にその様子を見せません。 

この徹底した管理を行っている自負があるからこそ、無頓着に(あるいは不注意に)その空間の「美しさ」を損なう放屁を行った者に対し、彼女らは「私たちがこれほどコストをかけて維持している幻想を壊した」という、一種の裏切りに近い怒りを感じるのです。

これはきっと、ところ構わず放屁をすることが心に染み付いたデリカシーの無い人には、一生を掛けても分からない感覚でしょう。



また、心理学には、自分が持っているネガティブな要素を他者に投影し、それを攻撃することで自分の正しさを確認する「投影」というメカニズムがあります。

キラキラ女子にとって、放屁などの生理現象は「自分たちの完璧な世界」には存在してはならない不純物です。

自分たちも内包しているその不純物を、カースト下位の人間が体現した時、彼女らは激しい嫌悪感を示します。

ここで重要なのは「誰がしたか」によって匂いの意味が変わるという点です。

上位層の仲間内であれば「ハプニング」として笑い話に昇華される可能性があっても、下位層の人間がそれを行うと、それは「だらしなさ」「無神経さ」「敬意の欠如」というレッテルを貼るための絶好の材料となります。

彼女たちは他者を「不潔な存在」として糾弾することで、相対的に自分たちの「清潔さ」と「上位性」を再確認しているのです。



そして、カースト構造が強固なコミュニティにおいて、マナーやエチケットは「味方か敵か」を判別する為のリトマス試験紙です。

彼女らの前で放屁をすることは、彼女たちが支配する「洗練された空間のルール」に対する〝反逆〟とみなされます。

特に、彼女たちが価値を置かない(カースト下位とみなす)人物がそれを行った場合「私たちの前でその程度の緊張感しか持っていないのか」というプライドへの侵害として捉えられてしまうのです。

その結果として行われる「容赦ない虐げ」は、コミュニティの秩序を乱す異分子を排除し、自分たちの優越的な地位を揺るぎないものにする為の「儀式的な制裁」としての側面を持っているのです。



結局のところ、彼女たちが他者の放屁を許さないのは、それが彼女たちの生命線である「イメージ」を根底から覆す破壊行為だからです。

自分たちの生理現象は徹底的に隠蔽し、他者のそれは「その人間の本質的な卑しさ」として糾弾する。

この残酷なまでの二重基準こそが、彼女たちがカーストの頂点を維持するための、防衛本能に近い行動原理なのです。

「人間は皆、同じように排泄する動物である」という身も蓋もない真実を、最も激しく拒絶し、美しさを武器に戦う彼女たちにとって、他者の放屁は単なる匂いではなく、自分たちの築き上げた〝虚構〟を脅かす「敵からの宣戦布告」に他ならないのです。