太陽の帝国というものは、古代世界においては、ローマ帝国が最高最大最深のものであったであろう。

 

 ギリシャ文化文明を正統に引き継ぎ、エジプト文化文明を正統に引き継ぎ、ヘブライ文化文明も正統に引き継ぎ、マルクス・アウレリウス帝の時期には、「大秦国王安敦」として、東洋世界にも使者を送っている。


 ローマ帝国は、マルクス・アウレリウス帝の時期に、シーザー以来の統合世界を創ろうとしている。

 

 そして、ほぼ同時代に、三国志の時代や、卑弥呼、大和武命の時代が実在しえたことを考えあわせてゆくと、ローマ世界の理想としたコスモポリタニズムのスケールの大きさと、世界史のシンクロニシティー(絶対精神の世界計画)の偉大さに感動を覚える。


 古代世界という時空間の限界はあったものの、その普遍哲学の中には、現代においても、新時代においても、活かせるものが多い。

 

 アウレリウス帝の「私の属する都市と国家は、アントニヌスとしてはローマであり、人間としては世界である。」という御言葉は、今の時代の政治哲学としても、活かせるものであろう。


 J・S・ミルも「自由論」の中で述べられているように、アウレリウス帝の、本来刊行する予定ではなかった「自分自身へ」(「自省録」)の中にある博愛の精神は、真髄において、イエス・キリストの博愛の精神と一致するし、どこまでも自分自身の魂の「善」を探究し、実践し、「真なる自己」を知ろうとされる態度は、「汝自身を知れ」というソクラテスの知の精神と一致する。

 

 「自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉は、君がたえず掘り下げさえすれば、たえず湧き出るであろう。」(「自省録」)という御言葉は、フィロソファーの根本哲理である。


 そして、「哲学者が統治するか、統治者が哲学するかなら、国家は栄える。」というアウレリウス帝の常々の御言葉は、プラトンの「国家~正義について~」の応用実践であられる。

 

 そして、皇帝として元老院に常に敬意を払い、「かくも多くの優秀な友人諸君の助言に私が従う方が、諸君が私たった一人の意向に従うよりもずっと公正である。」という常々の御言葉は、議会政治の根本哲理の実践であり、日本の天皇制の政治哲学とも真髄において一致している。


 そして、正当なる防衛として、国家緊急の時期には自ら軍の陣頭に立たれたということは、仁智勇に秀でられていたことの証である。

 

 ローマ法の精神とローマの普遍哲学は、今もなお、現代社会に引き継がれ、新時代の根本哲理の指標たりえる。


 様々な分野において、真なる哲人精神をもった国際的リーダーが輩出してゆくことが、国際日本ルネサンスの時代には大切になってゆくのである。