ソフィア 6 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

なんで なんで なんで?

どうして どうして どうして ?

 

突き詰めたその先の先にこそ、

真実事実が判明し、その人を

幸不幸へと導いてゆく手掛かり、

 

現実事実が明かされていくような

気もしないでもないのです。

 

物事に、すべての物事に、

なんで なんで なんで ?

どうして どうして どうして ?

は、面倒くさいけど、そして現実には、

不可能でもあるのかもしれないけれど、

 

できるだけすべての物事に、

なんで なんで なんで ?

どうして どうして どうして?

を実践する努力こそが、

重要なこととなってくるようです…そうな…。

 

努力こそが、すべての物事の

基本となってくる。

努力こそが、すべての幸不幸の、

源泉となってくるようにも思われなくも

ないとも考えられるのです。

 

「この間の重要人物の名はアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュアというところだ。」

(「キリスト教入門」講談社学術文庫)

 

キリスト教が好きという程度の誰にとっても

馴染みの深いアブラハム、ヤコブ、モーセ等々の名の

人々が実はユダヤ教徒であり、

新約聖書を

読んだことがあるという程度の人々にとっての

聖書に出て来たと主張する面々の名が、

実は旧約聖書で活躍したユダヤ人の

名であったりもするようです。

 

このあたりからもイメージするのが、

人類史を学ぶ上では、人類史を知りたいと思うのなら、

キリスト教、旧約聖書、新約聖書等々に拘らず、

その他の文献、資料、情報と

照らし合わせて見てみるほうが、

より実践的、より実務的、より効果的でさえあるとも

考えられるようにも思われるのです。

 

「バビロン捕囚から帰還してエルサレムを再建した様子と、ペルシャに残ったユダヤの民の様子などを語る予言書を最後に、旧約聖書によってたどることのできる歴史は終わる。」

(「キリスト教入門」講談社学術文庫)

 

旧約聖書ではここまで、

この間の出来事までは

記載があるけれど、

旧約聖書は唐突に、

このあたりの史実の記載を最後に、その記述を

終わらせてしまったかのようです。

 

そこになにがあったのか。

ちょっとした研究者であれば、

あるいはココの読者であれば、

ココで得た知識をもとに、

その間の、事象を推測することも

大スぺクタル・ミステリー、

軽いミステリーとしても楽しめるようです…そうな。

 

しかしながら一般の人、つまりはココの

読者以外の人々にとっては、

アタリマエにこの間の事象については、

想像だにできぬ、または、想像することさえ

しないという事態であるのやも知れませぬ。

 

「その後、イエスが生まれてキリスト教の新約聖書が出来事を語るまでには、約四百年のブランクがある。」

(「キリスト教入門」講談社学術文庫)

 

ここです。このブランクが、

なにを意味するものであるのか。

 

そこのところの理解が、ココの読者と

まったくそうでない人々との違い、

知的スキルの差異となって

表象してしまうのかも知れません。

 

「こうしてローマ帝国の植民地としてのユダヤ王国が、キリスト教発祥の舞台となる。」

(「キリスト教入門」講談社学術文庫)

 

ここからですネ。多くの人々が、

キリスト教と古代史を知った風な

気になってしまっているのは。

 

この四百年にもおよぶ歴史の

闇に封印されたキリスト教史ともいうべき

世界史、古代史は、この四百年を

無しにしては語れません。

 

もちろん、ココの読者は、

十分ご存知であるように、

この間の出来事についても、ココでは

嫌というほど取り上げて、語らさせて

いただいてきたようにも考えられます。

 

この間の出来事については、驚くべきこととして、

我が国では小中学校の授業の一環のなかにも、

しっかりと情報として、授業の一環として、

教科書を通じて、その情報を得ることが

可能となっているような…そうな…。

 

この間、古代史としては、

新旧訳聖書にも記載のない出来事としては、

ユダヤの民たちは、

ギリシャのアレクサンドロス大王に再び

国を滅ぼされ、ユダヤの民はギリシャ化して、

哲学に華を咲かせたりもしていました。

 

いってみれば、この四百年こそが、

哲学の発祥であり、この四百年こそが、

人類がギリシャを中心として、

哲学の華を開かせた瞬間であったとも

考えられるのです。

 

その後、エジプトや、シリアとメソポタミアの王国に

征服されたりもしながらも、ユダヤ人の

宗教活動を禁じた王に対しては、生意気にも、

哲学に目覚めた民たちは、

反乱を起こしたりもしていたわけです

…ような…そうな…。