横道から急に飛び出してくるような人、
歩きたばこ、運転中のスマホ等々、
人間として最低限度の
ルールさえ守れない人は、
犯罪者でなくても、
老若男女を問わずに、
N3分類とやらに該当するのかも知れない、
ということに気づかされたような気も
しないでもないのです。
「N3(類型)とは、対人関係が稚拙で、非社会的な行動傾向にある少年の分類のこと。能力的には、平均と障害の間にある『境界知能』に該当する。」
「境界知能」の非行少年増加
── TBS news Dig ──
当該情報によれば、いまや日本人の
7人に1人といわれるこの
境界知能N3類型の人々と
それ以外の人々の関係がギクシャク
しているのかとも考えられます。
7人の内6人が
足を投げ出してなどいないのに、
7人に1人くらいの割合で、
足を投げ出している人がいる。
7人の内1人くらいが、
マトモな挨拶もできない
というのが現実で、たまたま
7人のうちの1人に遭遇してしまった人々が、
社会に対して不満足を訴えるのも同情とともに
賛意をもしめしたくなるような気も
しないでもないのです。
「友情の力は徳と同じで、ほとんど不可能とされることでも解決することができる。」
(カルキディウス「書簡」京都大学学術出版会)
相手がどう思っていたのかは知らないけど、
僕が彼または彼女に友情を感じていた場合、
ほとんど不可能とされたことでも
可能としてきた経験は多々あります。
友情も恋愛と同じで、愛されることよりも、
愛することで奉仕という得徳感、
達成感も至福も得られるような
気もしないでもないのです。
「忌憚(きたん)ない物言いをするのを遠慮して尻込みしてしまうような人物は、正しい心をもつ人々のあいだで真の友人とは認められない。」
(ポリュピオス「歴史」京都大学学術出版会)
そこまでの概念であるとは
考えませんけど、
忌憚(きたん)ないつまりは
遠慮のない意見を
聞かせてくれない人は、
正しい心をもつ人々つまりは
友好的であろうとする人あるいは
なんの魂胆もなく、むしろ美徳から、
友好というまごころを
差し出そうとしている人々からみれば、
なんとも残念な人である、と、
悲嘆させられる人である、と、
見捨てられても文句はいえない、と
いうことであるのかも知れません。
「友人になってもらうと同時に追従者になってもらうことはできない。」
(プルタルコス「ポキオン/英雄伝」)
真の友情には追従してはならない
という掟もあるのかも知れません。
友人、知人には、僕と違う意見を
想起してもらいたい。
友人、知人は、僕の述べる提起する案件に、
僕とは違う視点で物申すというスタンスで
立ちはだかって頂きたい。
そうでないと、僕にとっての友人、知人の
価値が、真価が、損なわれてしまうようにも
思われなくもないのです。
人は一人では生きていけない。だからこそ、
友人、知人には、もう一人の僕として、
一人の僕より二人の僕として、
違った視点、論点を見出してほしいとも
考えているような気もしないでもないのです。
追従する人は、
こちらのポジションと力が変化すれば、
追従する人の友愛度までも変化する。
「逆境にある人間に友だちなどは存在しない。」
(エウリピデス「ヘラクレス」)