辞世11 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

年寄りのクレーマーが

増えているのは、

 

昔は年寄りが

クレーマー化する前に

寝たきりになっていたり、

話すことも出歩くこともできなかったり、

死んでいたからに他ならない

ようにも思われなくもありません。

 

失礼な対応をしていることにさえ

自ら気づいていない者、

礼節、礼儀作法、言葉遣いも知らぬ者が、

増えているのも事実であるようです。

 

醜悪なる社会となった現代、

生きていく人より、僕のようにオンボロで、

老いぼれて死んでいく男は、むしろ幸いである

ということも考えられるような気も

しないでもないのです。

 

論理的には相対が絶対となるというのであれば、

これもまた真理であるのかも知れません。

 

「死を恐れるよりも劣悪さから逃れることを考えよ。なぜなら劣悪は死よりも早く、いとも簡単に人を覆いつくすからである。」

(ソクラテス「西洋古典名言名句集」京都大学学術出版会)

 

死は誰にでもアタリマエに、

なんの努力もせずに訪れてくれる。

 

しかしながら劣悪さは、

本人が努力、切磋琢磨を怠れば、

誰にでもたちまち浸透し、

定着してしまう。

 

人は、死は普通に恐れるくせに、

己の精神が劣化してしまうことには

わりと無頓着であるようにも思われます。

 

文武両道、学問と運動に、意識的に

取り組まない怠慢さは、

間違いなく人を劣化、悪行へと

導いてしまうとも考えられるのです。

 

真剣に、悪者、犯罪者にはなりたくないと思うのなら、

真剣に学問と知性品性を身に付けることに

専念しなければなれないようです。

 

本心では、悪徳を身に付けてもかまわないとか、

本心では、己の劣化を恥じることもせぬ者、

恥知らずな人、破廉恥な人、下劣な人こそ、

怠惰な生活を苦にしていないのかも知れません。

 

「他人を非難するのに最も熱心な者が、自分の生活で最も多くの過ちを犯す。」

(ポリュピオス「西洋古典名言名句集」京都大学学術出版会)

 

最近では若者に、他者を敬うという感情が、

欠如してきているようにも思われます。

 

僕のように、敬いようもなく

軽蔑されてもアタリマエの年寄りが

増えているのも原因のひとつではありますが、

 

他者を敬うという情動が欠如すれば、

アタリマエに自分をも大切にできない

ということなのかも知れません。

 

不平不満の多い社会から目をそらして、

自分の世界に傾倒して生きるということは、

社会に対して、他者に対して、

敵意とか非難、嘲笑とかで向き合うことであり、

そこから自分以外の他者を

敬うという感情が欠如しはじめ、

ついには自分自身をも見失った愚かな人間へと

突き進んでしまう場合もあるような

気もしないでもないのです。

 

「格差社会で生きるのがたいへんだという人には、原始時代、戦国時代、先の戦争のなかで生き抜いた人がいたということを思い起してほしい。

 格差社会を生き延びるのが大変だなんて言いたくなったら、特攻隊員として敵艦に突っ込んだ人の気持ちを考えてみるのがいいのだ。」

(「暮らしの哲学」池田晶子)

 

我々はたまたまここに生きている。

それを幸いであると感謝して生きるほうが、

格差社会のせいにした生き方をするほりは、

はるかに幸せになれるような

気もしないでもないのです。