辞世5 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

余命宣告を受けて以来、

感謝の思いが増えているようではありますが、

感謝も、その量が増えれば、

質が低下してしまうな気もしないでもないのです。

 

しかしながら、大谷翔平選手の活躍を

目のあたりにするたびに、

彼と同じ時代に生まれて、

彼の栄光を、ほぼリアルタイムで

観ることができたことに、

あらためてまた感謝の時間が、

質量ともに増加傾向まっしぐらという

感慨がひとしおでもあるようなのです。

 

「人間五十年 下天のうちに比べれば 夢幻のごとくなり ひとたび生を得て 滅せぬもののあるべきか」

(織田信長/「敦盛」より)

 

小学生の高学年になって出会ったのが、

この句でありました。

 

以来、ケンカに明け暮れた不良少年時代から、

お酒と女性と病気に悩まされつつ、

仕事に驀進していたころまで、

 

この句は僕にとって、

座右の銘ともなり、

僕の「所詮」という思考の

似非のサトリのような感じで、

僕について回っていたのです。

 

「人生70年、宇宙時間に比べれば、夢幻のようです ひとたび生を受けて 死なずに許されるべき者なし」

 

「おもしろき こともなき世を おもしろく 住むはこころなりけり」

(高杉晋作&野村望東尼)

 

同時期に出会った文言ではあるけど、

当時は信長のほうが晋作よりはわかりやすく、

晋作の生きざまと

望東尼の達観とを理解し始めたのは、

中学受験のころからだったようにも記憶しています。

 

結局この二句は、僕の人生の大半を通して、

僕の脳裏から消え去ることはなく、

常に僕の生きざまにも

表れ続けていたようにも思われるのです。

 

しかしながら、高齢者となり、

命にかかわる持病が増えるにつれ、

 

「露とおち、露と消えゆく我が身かな 浮世のことは夢のまた夢」

(豊臣秀吉)

 

この辞世の句がずっと脳裏に

よぎっているような日々を

送ってきたような気もしないでもないのです。

 

そしていよいよ

余命宣告を受けるにいたっては、

この三句が僕のすべて、

僕の思考の現像ともなってしまったようにも、

感じたり考えたり思ったりもしているのです。

 

「人間五十年 下天のうちに比べれば 夢幻のごとくなり ひとたび生を得て 滅せぬもののあるべきか」

 

「おもしろき こともなき世を おもしろく 住むはこころなりけり」

 

「露とおち、露と消えゆく我が身かな 浮世のことは夢のまた夢」