政界・官界・芸能界にいたるまで、
卑劣で卑俗な男の問題が
後を絶たぬようです。
男の卑劣と卑俗は今に始まったことではなく、
長い歴史をかけて、男の
卑劣と卑俗化が育まれてきたようにも
お見受けいたしております。
僕のような老いぼれジジィになると、
もはや男でもなく、
なんならジジィでもばあ様でも、
挙句の果てにはゲイ・ジジィでもかまわぬくらいに、
男としての自覚も消失しつつあるようです。
この立場であればこそ、冷静に、
無責任に、言いたい放題、聞きたい放題、
いくらでもなんでもかんでもできるような、
オンボロを楽しむこともできるように、
なったような気もしないでもないのです。
「はたして我々は人間や自然の事柄について、明確な知識をいくらかでも多くもっているのだろうか。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ)
人間や自然の事柄について、
完全無欠には及ばぬ知識と経験で、
知った風なスタンスをとるのが
医療であり法律でもあるのかも知れません。
「我々自身が、我々の知識では達し得ないと告白する事柄について、勝手に別のものをでっち上げ、偽りの形を与えるというのは滑稽な企てではないか。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ)
現代医学では解明できぬ事柄に、
勝手に名前をつけて
神経症であるとか精神疾患であるとか…、
神でもない人間が、法律だけを学んで、
人生の裏道も知らぬお坊ちゃんが
裁判官だとか検察官だとかの名のもとに、
人が人を裁くという行為を
平気でやってのけているのが現状であるようにも
思われなくもないのかも知れません。
「哲学はその道具や機械や車輪を天にだけ送るのではない。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ)
哲学は、我々人間の生きざまを、
天に向かって恥じぬように、
我々人間が天の敵ではないというように、
天に向かって表明するための、
指針であり、言い訳であり、
モットーでもあるようなものを、
指し示すための学問であるのかとも思われます。
「哲学者は星や天体の運動における逆行と振動と接近と後退と転換に劣らぬだけの運動を、このちっぽけなあわれな人間の肉体に考え出した。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ)
哲学者は天体・自然・肉体・精神、
それら諸々の知識と学問を、
人間みずからの人生に反映させ、
根本的な幸福を得るために、
バランスよく考え出そうとしているようです。
「我々人間の境遇からすれば、我々の手中にある事柄も知識も、星天に対する知識と同じように我々から遠くにあり、同じように雲の上にある。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ)