「彼等自身こそ地位とか官職とか煩職な仕事などを、社会から自分一個の利益を引き出すために求めている。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ)
古今東西、政治家・官僚・職員の類ほど、
反社会的・利己的な、
自分自身の利益のためだけを、
考えている人種もいないのかも知れません。
「私には、そんなに極端なことをしなくても、ほかにすることがいっぱいある。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ)
モンテーニュは、
海外旅行を楽しむ富裕層や、
絵画や金銀食器を収集したりの、
気晴らしに明け暮れる人々に対しても、
その愚かさをモンテーニュ風に
指摘しているようです。
そして真の気晴らしとは、
知性に明け暮れることであるような
気もしないでもないのです。
で、知性に明け暮れるとは、
知的興味と新たな知識に感動し、
性的快楽を楽しむこと、
つまりは知性とは、
知的知識と性的快楽の
融合本性であると考えられる
ようにも思われなくもないのです。
「私は、運命の寵愛を受けながらも、いつかは不興に会うことの用意をし、幸せに暮らしながらも、想像の及ぶ限り、将来の災いを思い描くことで十分である。ちょうど、騎士たちが大平無事の世の中に馬上の槍試合や騎馬試合の練習をしたり、人生の絶頂期にある哲学者たちが、仮想命題を創り上げ、人間の心の闇を探求し、論じ合うようなものだ。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ)
文武両道、スポーツ・武道に励み、
学問の探求を怠らぬことが
肝要であるようです。
幸運に恵まれた時でさえ、
己の運命もまた、いつ、
尽きるかも知れぬという可能性に備え、
好機の絶頂にある時でさえ、
不調に陥った場合の対処を考えておくことが、
浮ついた人生を送らぬための
教訓とも呼べるものなのかも知れません。
文武両道は、人間としての、最低限の
心身の健全化を促進するようなのです。
最低限の健全さというスキルを
身に付けたうえで、その上に
何を乗せていくのかが、
その人の才量となっていくような
気もしないでもないのです。
「快楽も幸福も、生気利発たる精神がなくては感じられない。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ)
精神が健全・利発でない状態で、
幸不幸を判断したり、
楽しみたいと思っても、
それは無駄な思考であるとも
考えられなくもないのです。
「事物は人の心次第で、用い方を知る者には善となり、知らない者には悪となる。」
(「エセ―」ミシェル・ド・モンテーニュ)