フランソワ6世58 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

視聴覚障害者の

目印である白杖をついて

横断歩道を渡っている老女の前を

強引に割り込み、

自らが横断歩道を渡る男女。

さらには信号無視をして、

その老女の前をギリギリに横切って、

通過していく自転車を目にします。

 

僕は過去に不起訴にはなったけど、

傷害事件の当事者に

されてしまった経験があり、

その時に留置所で、持病の薬さえ

飲ませてもらえなかった経緯があり、

 

それでなくとも武道有段者は、

正当防衛でも相手にけがをさせれば、

裁判官が先入観を持つ危険もあるので、

自分自身の憶病さに苛まれながらも、

その場で無礼者たちを

成敗することができませんでした。

 

それでもこの国の、

マナーやルール、礼儀作法の乱れには、

今更ながらに勝手に呆れ、悲しみを

覚えてしまったのでした。

 

「たいていの小さな子供たちがかわいらしいのは、彼らがまだ自然が与えてくれた風貌と態度に閉じ込められており、別の風貌や態度をまったく知らないからである。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

純真無垢な

美しさであったり、

純真無垢ゆえの崇高さ

ということなのかも知れません。

そしてその純真無垢を失わずに、

誠意と志の心を

磨いていくことこそ、

肝要であるのかとも思われるのです。

 

「子供時代が終わると、彼らはそれを取り換え、台無しにしてしまう。ほかの人がやっていることを見て、それを真似しないといけないと思うが、完璧に真似ることは不可能である。そうした模倣には、つねに何かしら不自然なところ、おぼつかないところがある。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

このような状態のオトナが、

増え続けているように考えます。

自己を見つめ、自分の内面と向き合い、

自分独自の自分磨きに

切磋琢磨、自己研鑽することこそ、

美なるもの、真なるもの、幸なるものへの、

正しい道であるとも考えられるのです。

 

「彼らの態度や感情には、しっかり定まったところがまったくない。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

このようなオトナも、

増え続けているようにも思われます。

その結果、うわべだけの無責任な男が、

増え続けてしまっているようにも

見受けられなくもないのです。

 

「じっさい彼らは、自分がそう見られたいと思うとおりになるどころか、本当の自分ではない者に見られようと努めているのだ。誰もが別人になりたい、自分ではなくなりたいと思っている。彼らは自分のそれとは別の風貌、別の才気を探し求める。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

自分を真からいたわる、

自分を真から好きになれる人が、

少なくなっているのかも知れません。

 

己を真から好きになるということは、

己の誠、己の志をしっかりと持つこと、

その誠、その志を矜持として、

そこに向かって常に自己研鑽、

己を磨き続けることこそ、

肝要であるとも考えられます。

 

「他人の口調や物腰をいきあたりばったりに取り入れ、ある人に相応しいことでも、すべての人に相応しいとはかぎらないこと、口調にも物腰にも一般規則はないこと、よい模範というものはあり得ないことを考えもせずに、それを我が身に実験しているのだ。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)