フランソワ6世55 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

ここ数年、メンズライクという言葉を

耳にする機会が

増えているようにも思われます。

 

しかしながら英語圏では

あまり聞かない英語かとも

思われなくもないような気もしないでもないのです。

 

僕のような年寄りだと

ルック・ライク・ア・メンとか、マニッシュとか、

ひと昔まえなら、

ボーイッシュとか言っていたのを、

ただ単にメンズライクと、それらしく、

カッコつけて言い換えただけのようにも

考えられなくもないのです。

 

で、メンズライクでも

マニッシュでもいいけれど、もしかしたら、

時代がユニセックスからジェンダーレスへと

変化し始めているのかも知れないような、

気もしたりもしなかったりもしているのです。

 

服装とかデザイン等々、ファッション的、

外見的に共有するというユニセックスから

個人のアイデンティティにまで踏み込んで、

深く考察されるジェンダーレス。

 

メンズライクの流行で、

社会文化人類学的、哲学的に、

世界全体の知識と理解が深まるのなら、

メンズライクという言い草も

歓迎されるべきなのかも知れません。

 

が、僕の彼女には、少なくても、

外見だけは、今のままでいてほしいと、

願ったり祈ったりしたい気持ちでは

あるような気もしないでもないのです。

 

「信心家になろうとする者は多いが、誰も謙虚になろうとはしない。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

宗教におぼれたり、

真実真理もわきまえず、

勝手に何かを思い込むことは、

簡単で楽チンではあるけれど、

 

自分を思い上がり者であるとか、

自分が無知であるとか、を

素直に心の底から認めて、

あらゆる学問を

修めようとまでする者は

少ないようにも見受けられます。

 

「肉体労働は、人を精神的苦難から解放する。だからこそ、貧しい人たちも自分を幸福だと思い込むことができる。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

そのような人々もいなければ、

ビルも立たなければ道路も、

出来上がらないようです。

 

が、彼らより少しはましな

知的水準の者もいなければ、

その設計図も計画案も、

そもそも立ち上がってはこないようにも

思われなくもないのです。

 

そしてそのまた彼らよりも、

少しはましな知的水準の者がいなければ、

建築建設工事等々のハードな部分だけではなく、

その他、人が生きていくために必要な、

ソフト的な部分も構築されていかないようにも、

考えられなくもないのです。

 

「真の苦行は、誰にも知られずに行われるものである。偽(いつわ)りの苦行が楽なのは、虚栄心が働くからだ。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

一人、山にでもこもり、

一人、数分でも数時間でも座禅をくむのは、

真の苦行といえるのかも知れません。

 

が、集団で座禅をくむのが楽チンなのは、

そこにはすでに虚栄心という邪心が、

入り込んでいるからなのだとも、

考えられなくもないのです。

 

「謙虚さとは、神が唯一、そこで犠牲を捧げてもらいたいと願っている祭壇である。」

(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)

 

お布施をするよりも、

祈りを捧げるよりも、

自分は何も

知らないのだという謙虚さこそ、

神が人間に望む

最たるものであるとも思われます。