「論語(ろんご)」には、
「温故知新(おんこちしん)」
という言葉もあるようです。
「故(ゆえ、事の起こり、理由、原因)」
の知恵を、歴史を、研究して、
そこから新たに論理倫理、
道理を身に付けていく
ということだそうです。
ご存じ「論語」は、
現代にも通じる、いや、現代だからこそ、
重要なキー・ワードとなるような
教えに溢れているようにも思われます。
「女の武士道(論語より)1」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534119935.html
ココで一緒に、
「論語」や「ロシュフコー」に
触れ合っている人々が、まさに、
「温故知新」の実践者、賢者であるということに
なるのかも知れないような気もしないでもないのです。
「重大事においては、チャンスを新たに作り出すことよりも、いま目の前にあるチャンスを活かすことに専心すべきである。」
(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)
物事が、
うまくいかなくなったり、
停滞して不安が生じた場合に、
新たな視点も大事ではあるけれど、
それ以前に、
いま目の前にある状況の、
再検討、再把握、ダブルチェック、
ダブルアナライズ、トリプルチェックが
優先事項であるようにも思われます。
「頭のいい馬鹿ほど、始末の悪い馬鹿はいない。」
(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)
IT関係、SE関係等々、
なまじイッチョマエに稼ぐ者が、
人間的にも総合的にも
イッチョマエであるとは、
とうてい思えません。
むしろ、普通におバカな者のほうが、
人間的には優秀で、総合スキルもあり、
彼らほど始末に悪いともいえない
ような気もしないでもないのです。
「たしかに世間は判断を誤りがちだが、たいていの場合、真の価値をけなすよりも、間違った価値をもてはやすほうが多い。」
(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)
どちらにしろ世間とは、
おバカの集まり、
衆愚の塊とでも
いうことのようです。
「自分を偽ろうとするよりも、あるがままの自分を見せるほうが、得るところは多いだろうに。」
(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)
これを理解していない、
あるいは気付いていない、
またはそこまで
考えてもいない人々が、
実に多いようにも
思われなくもないのです。
「我々が自分自身を判断するよりも、我々の敵が我々を判断するほうが、むしろ真実に近づいている。」
(「箴言」ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世)