あまりに人間的22 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

値上げ、生活直撃等々のニュースを

見聞きはしていても、

身近でそのことを

話題にする女性が

少ないようにも感じられます。

 

それでも若い女性で、

値上げ、生活直撃等々の話題を

くちにする人には、

なぜだか親近感のような

 

「この世もまだまだ

捨てたものではない」

くらいの勢いで、

妙に納得したり

安心したりしてしまうのは、

 

僕が本格的に老いぼれ、

オンボロの境地に

達してしまっている

からなのかも知れません。

 

「或る物事に関して突然きかれる時に思いつく最初の意見は、通常我々自身の意見ではなく、ありきたりの、我々の階級・地位・血統に属する意見にすぎない。自分の意見はめったに表面に浮かんでこない。」

(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)

 

人は

本当の自分の意見と、

自分の

環境・立場・家族等々に

おいての一般的共通概念を

取り違えて

しまっている場合も多い。

 

それが

アタリマエなのではなく、

そこに懐疑をよせ、

その真相を見極める探究も

必要とされている

のかも知れません。

 

「凡人は危険が見えない時に、危険を見る眼がない時に、英雄のように大胆で不死身である。逆に、英雄はただ一つ急所を背中に、つまり眼のないところにもっている。」

(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)

 

「怖いもの知らず」とは、

自信に満ち、勇気のあること

のように用いられてきた

と信じたいのですが、

 

最近の、

「怖いもの知らず」はそのまま、

無知で怖いものも

マナーも何も知らない

愚か者という意味でも混同して

用いられているようにも思われます。

 

紛争中の国家で、

銃撃戦の中を、

スマホを見ながら

ぐずぐずと歩く

愚かな男はいない。

 

街中をぐずぐずと

片手を

ポケットに入れて

もう一方の手の

スマホを見ながら歩く

「怖いもの知らず」の

無知で蒙昧で醜悪な男は、

日本人に多いとも

思われなくもないような

気もしないでもないのです。