値上げ、生活直撃等々のニュースを
見聞きはしていても、
身近でそのことを
話題にする女性が
少ないようにも感じられます。
それでも若い女性で、
値上げ、生活直撃等々の話題を
くちにする人には、
なぜだか親近感のような
「この世もまだまだ
捨てたものではない」
くらいの勢いで、
妙に納得したり
安心したりしてしまうのは、
僕が本格的に老いぼれ、
オンボロの境地に
達してしまっている
からなのかも知れません。
「或る物事に関して突然きかれる時に思いつく最初の意見は、通常我々自身の意見ではなく、ありきたりの、我々の階級・地位・血統に属する意見にすぎない。自分の意見はめったに表面に浮かんでこない。」
(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)
人は
本当の自分の意見と、
自分の
環境・立場・家族等々に
おいての一般的共通概念を
取り違えて
しまっている場合も多い。
それが
アタリマエなのではなく、
そこに懐疑をよせ、
その真相を見極める探究も
必要とされている
のかも知れません。
「凡人は危険が見えない時に、危険を見る眼がない時に、英雄のように大胆で不死身である。逆に、英雄はただ一つ急所を背中に、つまり眼のないところにもっている。」
(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)
「怖いもの知らず」とは、
自信に満ち、勇気のあること
のように用いられてきた
と信じたいのですが、
最近の、
「怖いもの知らず」はそのまま、
無知で怖いものも
マナーも何も知らない
愚か者という意味でも混同して
用いられているようにも思われます。
紛争中の国家で、
銃撃戦の中を、
スマホを見ながら
ぐずぐずと歩く
愚かな男はいない。
街中をぐずぐずと
片手を
ポケットに入れて
もう一方の手の
スマホを見ながら歩く
「怖いもの知らず」の
無知で蒙昧で醜悪な男は、
日本人に多いとも
思われなくもないような
気もしないでもないのです。