あまりに人間的21 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

お金の使い方で

その人の品性が問われ、

 

何を美しいと思うのかで、

その人の感性が

試されるのかとも思われます。

 

マトモに学問して、

心を癒し向上し、

マトモに生き、

マトモに死にたいのなら、

 

キリスト教でも仏教でもなく、

哲学でも心理学でもなく、

 

やはり般若心経に

行き着くのかも知れません。

 

「般若オールマイティー1」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120381.html

 

宗教も学問も、

その多くを学び、

その多くの知恵を

得ることにより、

 

そのことがようやく

わかりかけてくるのかとも、

考えられます。

 

「人は他の人に自分の罪を懺悔してしまうと、その罪を忘れることができる。しかし通常相手のほうはそれを忘れない。」

(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)

 

人は他の人に話すことで、

その思いが軽減する場合も

あるようです。

それがセラピーであったり、

懺悔であったり

するのでしょうけど、

 

聞かされるほうは、

それなりの負荷が

かかるので、

タダで

聞いてくれる人には

感謝した方が

良いのかも知れないけれど、

 

それも料金に含まれるような

職業の人々は、

その聞き方により、

プロとしての

レベルが問われたり

問われなかったりも

しているのかも知れません。

 

「自足の金羊皮は棍棒なら防げるが、針で刺されるのは防げない。」

(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)

 

どのように、

自足しようが自給しようが、

どのように、

完璧であったとしても、

棍棒には強く

針には弱い、とか、

経済・物理的には強いが、

精神・孤独には弱い、とか、

それぞれにそれぞれの、

盛者必衰・長所短所が

存在してしまう、

ということなのかも知れません。

 

「炎というものは、それ自身にとっては、それが照らしてやる他の人々にとってほど明るくない。賢者もまたそうである。」

(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)