「時に身を委ねる」
という文言は
哲学・心理学・禅・
ヨーガ等々でも
よく使われますけど、
実はこの「時」という感覚、
僕は長年
「ジェンニの法則」
としてご紹介していますが、
これが日本語表記では
「ジャネーの法則」として
まかり通っているようです。
5歳の
子どもの味わう10日間を、
50歳の人は1日として
認識してしまので、
老人の時はアッという間に
過ぎ去っていくという
哀しい法則。
「時間の感覚は
年齢の逆数に比例する」
「 『待つ』 という時間」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120701.html
68歳の僕は
彼女との時間がいつも
アッという間に感じて
とても寂しい思いをしているのです。
「たいていの人はあまりにもひどく自分のことに没頭しているので、悪意をもつ暇がない。
したがって悪意が生じる事自体はきわめて稀である。」
(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)
だから手に負えない。
愚者は、悪意もないのに、
他者に対して無礼であったり、
傲慢で不親切であったり、
自分のことだけで
精いっぱいの愚者は
他者を思いやり寛容な慈愛を
示す知恵も余裕もなく、
悪意をもつ暇もなければ
ものを考える脳もない
ということなのかも知れません。
「自殺の阻止───人間から命を取り上げる権利はあるが、人間から死を取り上げる権利は、何人にもない。これはただ残酷なだけなのである。」
(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)
自殺となると
如何なものかの
懐疑は残されますが、
延命措置とかいう言葉で
誤魔化された残酷なだけの
チューブだらけの状態で
生かされるくらいなら、
いっそのことモルヒネ。
モルヒネの力をもってして、
安楽な状態で死を迎えたい
とも思われなくもないのです。
僕くらいの
ジジィともなれば、
虚栄と生と性に執着し、
少しでも長く生きることに
がんばるジジィよりも
安寧な死を望むほうが
正常であるような
気もしないでもないのです。
「高貴と寛大の道徳性などというものは、人生にはまったく責任などないという信仰が優性になれば、消え失せてしまうことだろう。」
(「人間的、あまりに人間的」ニーチェ)