ルネ・デカルト 3 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような心が…ほしい…。

 2020年ころには、

 全国感染者数一日500人

 とかであった国民の中に、

 

 ノーマスク、顎マスクの国民が

 平気で出没すること自体、

 その国民の品性知性が

 疑われてしまうのかも知れません。

 

 疑わしき国民性は、

 虚偽、虚勢、虚飾の虚と偽だけの

 国民性を表象していると

 考えられなくもないようにも思われます。

 

 その笑いが面白いのかどうか、

 疑問が話題にでるような芸人、

 

 カツラ装着が適切であるのかどうか、

 疑問が話題になるような装着の是非、

 

 それらはすべて所詮

 ニセモノであるがゆえの宿命、

 懐疑があるのなら、

 それは不適切、所詮ニセモノで

 あるのかも知れません。

 

 統一教会、政治と宗教、

 少しでも疑問に思われる事柄が、

 挙げられるのなら、それは、

 統一教会、政治と宗教が、

 醜悪、醜劣、下劣であると考えられます。

 

 マスクの是非、

 ノーマスク、顎マスクで

 コロナ防止が充分なのかどうか、

 疑わしいのなら、それは、

 ノーマスク、顎マスクが

 間違いであると考えられます。

 

 国葬をどうたらこうたら、

 国葬に相応しいのかどうか

 疑わしいのなら、それは

 虚飾、虚偽、ウソっぽい

 ということなのかも知れません。

 

「疑わしいものは偽であるとさえみなすべきである。」

(「哲学原理」デカルト)

 

 どこかの誰かの政治家のように、

 どこかのおろかな官僚のように、

 

 少しでも疑惑があるのなら、

 彼らは偽であり、彼らは

 国家の裏切者であり、

 彼らは

 犯罪者であるとさえみなされても

 なんら問題もないのかも知れません。

 

 疑惑はすべてを洗い直す。

 疑うことは真実を知ること、

 懐疑はすべてをさらけだす

 ということのようにも思われます。

 

「懐疑主義とは、現れるものと思惟されるものとを対置しうる能力である」

(「ピュロン主義哲学概要」セクストス)

───西洋古典叢書───京都大学学術出版会───

 

「ピュロン主義哲学2」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12636440819.html

 

 真実がどこにあるのか、

 そこを見抜ける力を

 養うことも

 大切であると考えます。

 

「それどころか、何が最も確実で最も容易に認識されるものであるかを、さらに一層明らかに見出すためには、我々が疑うであろうものを偽とするまでにいたるのが有益であろう。」

(「哲学原理」デカルト)

 

 真実は、真理は、

 我々が疑うであろう物事が

 偽であり邪であることを容易に、

 認識させてくれるので、

 そこに至るまで探究を、

 または議論を重ねて

 洞察すべきが有益と

 なるということなのかも知れません。

 

「疑わしいものは偽であるとさえみなすべきである。」

(「哲学原理」デカルト)