思考無双 5 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

「大暴落に大慌て?

『仮想通貨推しセレブたち』の今」

The New York Times

https://toyokeizai.net/category/NYT

 

 現代では、

 お金と命が結び付く

 不必要で非論理的な関係性が

 アタリマエになってしまっているようです。

 

 これでは本末転倒、

 人類に未来はあるのでしょうか?

 

「けれども、ここで私が多くの人と、致命的に袂を分かってしまうのは、『生きなければならない』という言い分をするときの、その『ねばならない』の意味、これが、やはりわからないのである。」

(「考える日々」池田晶子)

 

 僕も「生きねばならない」から「生きる」

 ということには基本的に同意できかねます。

 

 生きるということは、

 なにも「ねばなれない」ではなく、

 御本人の意思で生きれば宜しい、

 だけではないかと。

 

 誰かが生きることを

 強制しているわけでもないのだから、

 生きたくなければ死んでもいい。

 

 自分が死にたくないからといって、

 「生きなければならない」となるのは、

 いささか、ずるい、というか、

 人のせいにする、というか、

 潔くないとでもいうように思われます。

 

 僕も生きるということに関しては、

 あまり積極的に関わっているとも思えませんが、

 

 いつ死んでもいい、自分の人生に悔いがない、

 自分の人生に十分感謝、満足している、

 

 という理由から、「生きる」に固執することなく、

 いつ死んでもいいという覚悟みたいなものは、

 常に持ち続けて生きてきたようにも思われます。

 

 それでも今を、今後を「生きる」「生きたい」

 と思うのは、ただひたすら、

 なぜ? なに? どうして? に固執するから。

 

 なぜ、生きなければならないのか、

 なにが彼または彼女をそうさせたのか、

 どうして人は〇〇なのか、等々、

 

 僕のなぜ? なに? どうして? 

 は限りなく、それらの疑問、懐疑を、

 僕なりに納得できるまで研鑽、探求したい

 が、ために、生きているようなものなのかも知れません。

 

「あなたは、金のために生きているのか、生きるために金がいるのか。

 生きるために金が要るなら、なんのために生きているのか、あなたは、なんのために生きているのか。」

(「考える日々」池田晶子)

 

 究極的な哲学の

 面白くも必要であり、

 ためになるも自分のために、

 というところの命題でもあるようです。