ニーチェ17 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

 コロナは

 五月雨式(さみだれしき)

 だらだらと続く状態になってきているようです。

 

 東京大学本郷弥生キャンパスの五月祭(ごがつさい)

 ハイブリッド形態で開催予定だそうです。

 

 梅雨(つゆ)を五月雨(さみだれ)というと

 同じ天候でもなぜか風情があるように感じられます。

 

 五月の花は五月(さつき)がポピュラーで、

 五月になっても僕のようなオイボレの戯言は、

 五月蝿(うるさい)そうです。

 

「世界を厭うべき邪悪なものと見ようとするキリスト教的決意が、世界を厭うべき邪悪なものにしてしまった。」

(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)

 

 幸か不幸か、善悪、正邪、

 良否はわかりませんが、

 ベトナム戦争時の犠牲者100万人に対して

 キリスト教十字軍の遠征の犠牲者数は

 300万人にも上ると言われているようです。

 

 が、しかし、かの宗教の教義として、

 この世は邪悪であるのに、

 生きながらえさせて頂いていることに感謝して、

 せめて善行、美徳を積むことで、その償いを

 させていただくという志は良であるとも思われるのです。

 

「嘘つきについて。

 気をつけたまえ、彼は思いを巡らせている。すぐさま彼は嘘を用意するだろう。そういう事態は、古今東西、すべての民族が有して育てた文化の一段階なのである。

 ローマ人がmentiriという言葉で表現したものが何であったのかを、とくと考えてみるがいい!」

(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)

 

 御存知のようにmeitiriはラテン語で、

 欺き惑わす、騙す、嘘を吐く

 などの意味に用いられます。

 

 欺き惑わし騙し嘘を吐く

 などという情動は、ローマの時代から

 全人類が育んできてしまった悪徳悪癖

 であると、ニーチェは指摘します。

 

 なので、嘘つきかどうか、

 ウソなのか真実なのかを

 考えあぐねるよりは、

 男は常に欺き惑わし騙し嘘を吐く、

 まるでインチキ・チンパンジーのような存在 

 であると認識されたほうが無難であるのかも知れません。

 

「世に天才と呼ばれる者が持つ厄介な性質について。

 彼はなんでもかんでも物事を深刻に考え、それは人々の眼を絶えず張り詰めさせ、結局いつも彼が求めていたものより多くの物事を人々に見出させてしまう。」

(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)

 

 僕は凡才愚才でありますが、

 現役時代は周囲から、

 上記と同じようなことを言われていたようです。

 

 これはただ単に僕が

 何でもかんでも物事の懐疑を示し、

 周囲の人々の神経を張り詰めさせ、

 結局いつも僕が求めていた以上のものが

 出現するという事象に似ているというだけの

 ことにすぎないのかもとも思われるのです。

 

「人間は時に、徳に対しても下品で追従的である場合もある。」

(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)