アタリマエなのかもしれないけど、
晴れの日と曇りの日、月の満ち欠け、
雲ひとつ多い少ない、雨の量によってでも、
人の体調と気持ちの浮き沈みは、
おおいに影響を受けてしまうようです。
なんなら今が一番、心身ともに、
過ごしやすい時期に突入しているのかも知れないし、
あげくのはてには6月の梅雨の時期には、
女性はセクシーな気分にさせられがちだともいうので、
この時期、今を、現在を、
とくに大切に、とくに念入りに、
おごそかに味わうべきなのかなぁとも思われます。
「エピクロス、
たしかに、私は、エピクロスの性格も、他のいかなる人々とも異なった風に感受することに、また自分が彼について聴いたり読んだりする一切において古代の午後の幸福を味わうことに、誇りを抱いている。」
(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)
またまた小難しい言い回しです。
ニーチェはエピクロスについて、
エピクロスが
他の誰とも違う視点や感性を持っていること、
ニーチェはそこに惚れていて、ニーチェ自身、
エピクロスの論文、著作、彼の時代に浸ることで、
満面の至福を覚えているということなのでしょう。
この部分は、エピクロスが
ではなく、エピクロスに限らず、本来なら誰でも
「他のいかなる人々とも異なった風に感受すること」
がアタリマエなのであって、昨今のように、誰もが
歩きスマホ、誰もがいつでもスマホのような風潮は、
如何なるものかの原像を考えることにもなりそうです。
「ブッダは死んだ。神は死んだ。
だがブッダが死んだ後も、幾世紀もの長きにわたり、ある洞窟の中にブッダの影は見られた。巨大な怖るべき影、神の指し示される諸々の洞窟が存在するであろう。
我々はさらにまた神の影をも克服しなければならない。」
(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)
ここにも超有名なニーチェの言葉
「神は死んだ」が出てきます。
ニーチェ全集を読んでいると、
いろいろな、たとえば
「ツァラトゥストラ」での出典が有名なようですが、
ニーチェがブッダを崇拝していたことを考えれば
アタリマエといえばアタリマエの現象であったのかも知れません。
ニーチェにとって、
ブッダは自然、宇宙、真実、真理と同様に、
ブッダ・自然・宇宙・真実・真理を含めて神
ということなのだとも思われます。
(アタリマエにブッダは神ではなく人間ですけど)
「宇宙にも自然にも、いかなる法則はなく、あるのはただ必然だけなのである。」
(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)
当コラムの読者は
もうお気づきのことかとも思われます。
ウィトゲンシュタインです。
「存在するのはただ、倫理的必然性のみである。」
(「論理哲学論考」ウィトゲンシュタイン)
「ウィトゲンシュタイン19」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12729813501.html