「賢者の独白、
我、民衆に馴染まず、だが彼らの為になることを。
我、この道をゆく、太陽となり雲ともなりて。
我、いつも彼ら民衆のはるか頭上を越えて。」
(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)
あまりにも有名なニーチェの
「超人伝説」にも通じるものがあります。
「シルス マリアの超人」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120013.html
真に、学問を超絶学習して、
人生経験も超絶経験したならば、
一般大衆とは乖離してしまうようです。
なぜならめいっぱい学問して、
めいっぱい人生の裏表をも経験したならば、
真実真理、この世の真の美と醜悪、
品性と劣性、優秀と醜愚の区別が
はっきりと見えてきてしまうからなのかも知れません。
「合鍵である、そのものたちは!」
(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)
賢者はすべてのものごとが異なり、
今と同じ時事象もあり得ないこと、
同じものなどあり得ないことを十分に知ったうえで、
どのような小さな共通性でも、
どのように些細な共通項であろうとも、
本能的に、常に、探し求めているようです。
共通項を「合鍵」と比喩するところが
じつにニーチェらしい。
「知的良心、それを知る者さえいない。
信じたくはないが、それが私には一目瞭然の事実であるにせよ、おおかたの人々には知的良心が欠けている。
実のところ、そういう知的良心への要求をいだくと、人の群がる都会のなかにあって砂漠のなかにいるような孤独を味わうものであるかのように、しばしば私には思えてならなかった。」
(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)
おおかたの人々にとっては、
知的良心などという言葉自体、
生涯、聞くことも使うこともなく、
人生を閉じてしまうのかも知れません。
それがどんな大罪であって、
どんなに下劣な人生であるのだとしても。。。
「あれやこれやのことを信じ、それを頼りに生きることを、しかもそれに対する賛否をきめる究極の最も確実な理由を前もって自覚もせずに、またそうした理由を求める骨折りをのちほど自分の手でやってみるだけのことさえせずに生きることを、おおかたの人々は軽蔑すべきことであるとは思ってはいない。」
(ニーチェ全集8「悦ばしき知識」ニーチェ)
ニーチェにとって、
いや同じ地球の、同じような文明文化において、
ニーチェのような人が
ウジャウジャ存在しているというのに、
己との学力差、知識差、品性差に気付かず、
いや、ニーチェの存在さえ、その名前すら、
ひょっとすればその名前さえも知らぬ人々が、
おおかたの人々の中には存在しているようです。
見直し算、己の論理行動を見直す、
再々チェックしない傲慢が
大罪であるということを知らぬ人々が
行き来する。
東京砂漠。
「男をやめる理由」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120618.html
「東京砂漠 な 義歯」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120600.html