あのジェイムズ家の娘アリスの日記24 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

 オリンピックでも日本人の

 「お国柄」のセールス・ポイントというか

 アピール・ポイントとして取り上げられるのが、

 “おもてなし”であったり

 “敬(うやま)い”であったりしているようです。

 

 “敬(うやま)い”を広辞苑で引いてみれば、

  尊(とうとぶ)ぶ・礼をつくす・尊敬する、

  などと訳されていますが、

 

 現代日本の“現状”としては

 敬う・尊ぶなどという漢字さえ読めない、

 その意味さえ、その心根さえ理解できない

 人びとが増殖しているように思われます。

 

 人が人に礼を尽くす。

 人が自分以外の人を尊ぶ。

 人が自分以外の人を敬う。

 

 自分以外の人間の存在を認め、

 自分以外の人を気づかう。

 

 街を歩けば、歩きスマホで、

 他者の存在など眼中にないという

 他者に対しての礼を逸した

 傲慢なる無礼者が繁殖しています。

 

 現代の日本で、

 自分以外の人の存在を認めて、

 

 自分以外の

 人の尊厳を意識している人が

 何人いるのでしょう。

 

1891年 サウスケンジントン

「2月6日

 りっぱな人物でいるなんて、たいそううんざりさせられるにちがいない!

 殺人や離婚あるいは、特別に神経をとがらせる対象が何であれ、それらについて絶対読まないという、精神的な貧血症を起こしている人たちだ。

 そういうことで彼女たちは見栄を張っているのだ。

 ちょうど芝居を観に行って、悪役が舞台の上を通り過ぎるたびに目を閉じるのだと自慢するのと同じくらいに気持ち悪いことである。」

(「アリス・ジェイムズの日記」アリス・ジェイムズ)

 

 現代でいえば、

 サスペンス系TVドラマ、

 ソープ・オペラ系書籍等々、

 ホロー・クラウド的作品に興味をもっている人を卑下するような人こそ、アリスから見れば「精神的貧血症」的見栄っ張りであり、虚栄と虚飾に塗れた憐れむべき人々であるとでもいうことなのかも知れません。

 

1891年 ケンジントン

「4月25日

 自分がどのように騙されていたかを知るのは、虚栄心にたいそう衝撃を与え、怒りをもたらすものである。

 しかしそのうち理性が働いて分かるのだ。

 彼女がもっているふりもしなかったあらゆる資質や品性を、自分自身の意識の中にあるからこそ、彼女にもあるものと勝手に賦与していたことを。

 そして無知なる者は、受け継いだものであれ習得したものであれ、どんな芽ももたないから何も知覚したり理解したりできないのに対して、私たちは、自分たちのロマンティックな知覚でもって、最も粗野な雑草に最も美しい花が咲く可能性を見出したと想像してしまい、その棘に刺され、その刺毛に傷つけられると、裏切られたと感じるのだ。」

(「アリス・ジェイムズの日記」アリス・ジェイムズ)

 

 世の中にはアタリマエに、

 資質も品性も違う人々がうごめいている。

 

 自分と同じ最低限の資質と品性くらいは

 持ち合わせていてくれるであろうという無意識の

 期待を抱いて接すれば、

 ハナから資質も品性も持たない輩に傷つけられ騙され、時には物質的金銭的精神的被害さえ被ることもあるようです。

 

 なので二択となるのです。

 

 ハナから見破り、あるいは信用せず、あるいはバレないように心の中で見下し、操るが如くに接するのか、

 最初からまったく相手にしないのか。

 

 本当に、世の中にはアタリマエに、

 資質も品性もまったく違うか

 ハナから持ち合わせぬ輩がうようよと存在しているのです。