第6波というのも情けない
と認識できるオトナでなくてはならない
とも思われます。
1度の失敗ならいざ知らず、
2度3度どころか6回目の過ちとなると
もうこれは救いようもないと認識されても
文句はいえないようです。
さて、
それほど醜悪で衆愚な人類、
我々は第6波に対して
どのような対応、または、これを最後に
滅亡してしまうのか、本来なら、所詮、そのほうが
自然の理には適っている存在であったのかも知れません。
閑話休題。
神話も哲学も、
じつに幾層もの思考と思想が積み重なって、
大きな知のうねりのようなものを形作っています。
何十枚何百枚何千枚何万枚、
いや何十万枚、何億枚もの
思想と思考の積み重なった神話と哲学の、どこかの層を取り上げて知った風な思いでいるのと、
あるいは表面だけをなぞっただけで神話と哲学の知恵を得たように思い込んでいるだけなのでは
まったく意味もないどころか、むしろ社会的な闇とか悪を増幅させてしまう危険さえ孕んでいるとも考えられるのです。
「今日の日本では、子供たちの文化を中心として、広範囲にバーチャルな領域の開拓が進んでいます。」
(カイエ・ソバージュ/人類最古の哲学)中沢新一)
この「子供たちの文化を中心として」
というところに問題点の一つが潜んでいるようです。
本来は子供向け、
ターゲットを子供にしぼった商品を開発したのに、
まさかの大のオトナも飛びついて喜ぶとは、ビジネス的に大いなる喜ばしき誤算ではあるだろうけど、文化人類学的にはあきれた現象であるとしか言いようもないのかも知れません。
本来、子供向けの商品を、
青年やオトナが寄ってたかってよろこび勇んで駆けつけ、
話題にするどころか自らも夢中になって遊んでいるさまは恥ずかしいを通り越して罪悪で卑俗であるとも思われなくもないような気もしないでもないのです。
「最先端のCGやアニメなどでも、視覚器官と大脳の視覚野だけに世界を限定して、その中で想像力と欲望の動きを操作したり変形したりして、快感原則を満足させるために、きわめて高度な技術が動員されています。」
(「カイエ・ソバージュ/人類最古の哲学」中沢新一)
海外では、
工場や生産ライン、
工業や医学・鉱学等々の学術的用途あるいは生活性の高い用途に応用されているきわめて高度な技術が、わが国ではアニメやゲーム等々の幼稚で稚拙なコドモ向け商品の開発に使われまくっているようです。
なぜか?
単純に、すぐに、儲かるから、
儲けにつながるから、
ただそれだけの国家国民に成り下がっているようです。
「しかし、同時に、そのことが、
社会全体の、病理を悪化させるのに力を貸してしまっていることも、否定することのできない事実なのです。」
(カイエ・ソバージュ/人類最古の哲学)中沢新一)