季節が有難いのではなく、
季節を感じることのできる我々の、
感性、情動、概念こそが有難いのだとも考えられます。
「真子さま」は今日10月23日、
満30歳になられたようです。
皇族として最期の御誕生日を真子さまは、
どのような御心境でお迎えになられたのか。
何も考えなかったのか、
お考えになられた優先順位は皇族について、
30歳、御結婚生活、初体験の市民生活について・・・
いずれにしても
彼女にとっての今後に幸あれと祈るばかりです。
「我々は同時に、笑ったり、哲学を研究したり、家事をこなしたり、その他さまざまな営みをしなければならない。
その中にあっても、正しい哲学の探究と教えを伝え続けていかなければならない。」
(「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)
そのようなことを怠ったがために、
現在のような状況が出現した。
哲学なき進化・進歩は、人類を滅亡へと導き、哲学なき人間は、醜悪で劣化の道を突き進むとも思われます。
「最大の善については、それが生じるものと、我々がそれを歓び楽しむのとが同時に生じる。」
(「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)
掃除や洗濯を完璧にこなした時には、
我々は瞬時に快を味わうことができる。
ゆえに掃除洗濯に真剣に取り組むことは最大の善行であり、それが我々にもたらす快は善行の度数と一致するということなのかも知れません。
「知者は、困窮に身を落とした時でも、他者から分けてもらうよりも、自分のものを他者に分け与えるすべを心得ている。
これほどまでにも彼の見出した自己充足の宝庫はすばらしい。」
(「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)
他者から何かを分け与えられるよりも、
自分が他者に何かを分け与える方が、
はるかに快であると感じられる人は、自分が困窮していてもその快を味わうすべを心得ている。
ここまで快を得る法を知り、それを実践できる彼の善と快に関する智慧は素晴らしい心の宝庫であるとも思われます。
エピクロスの言ってることそのまんまではありますが・・・。
「哲学探究は、我々を、ほら吹きにもせず、陰口をきく者にもせず、また、多くの似非知識人のように、稚拙な教養を人前で披露するような者にもしない。
かえって、その探究は、我々を、泰然とした自己充足者にし、そして哲学的事物の善を基にして、自分自身に特有な善を誇りとするような人物にする。」
(「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)
哲学とは、
人間本性の悪を認識したうえで、
人間本性の善なる思いと善なる行動を、“カッコいい”と感じる感性を養うエクササイズであるとも思われます。
「あたかも我々が長い間、我々に大きな害を与えてきた邪まな者たちを追い払うように、我々は、哲学をしなくなってしまった悪い習慣を持つ者を、徹底的に追い払おうではないか。」
(「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)