エピキュリアン11 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

「知者を尊敬できる人は、尊敬するその当人を知者にして、そしてそれは双方にとっての善となる。」

 (「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)

 

 或る人を知者であると見抜くのも

 その見抜いた人の知性である。

 また、その人を知者であると見抜けぬ人は、

 見抜くだけの知性が足りぬということになるのかも知れません。

 

 知者は知者に見抜かれる。

 知者は愚者を見抜けるが、

 愚者は知者を認識することさえできない。

 

「飢えないこと、乾かないこと、寒くないこと、これが肉体の自然的欲求である。

 これらを所有したいと望んで所有できている状態に満足と感謝を覚えられるのなら、その人は、幸福にかけては、ゼウスとさえ競いうるであろう。」

 (「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)

 

「ゼウスは空気、ゼウスは大地、

 ゼウスは万物であり、そのすべてを超えるもの」

(「西洋古典叢書断片集/アイスキュロス」京都大学学術出版会)

 

 「ゼウスの恋」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120808.html

 

「最小のもので、満足できる人は、最大のものを有している」

(「西洋古典叢書断片集/ディオゲネス」京都大学学術出版会)

 

 「シノペの釈迦」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120990.html

 

「我々が必要とするのは、他者からの手助けそのものではなくて、むしろ、手助けについての真と信なのである。」

 (「西洋古典叢書断片集/エピクロス」京都大学学術出版会)

 

 貨幣経済においては、

 その代償が真でも信でもなく、

 お金で支払われる場合もある。

 しかしながら、時代と共に媒体は変わっても、そこに表象されるものは真または信でなくてはならない、ということなのかも知れません。

 

 だからこそ、まことしやかに、

「真心のこもったサービス」

などというチープなキャッチも通用しているのだとも思われるのです。

「真心のこもったサービス」と謳いながら、お金を要求する心魂が資本主義の醜態をさらしているようにも思われなくもないのです。

 

「自然は、善に対して弱いのではなく、悪に対して弱いのである。

 というのは、自然は、善なる快によって保全され、悪なる苦によって破壊されるからである。」

 (「西洋古典叢書断片集・エピクロス」京都大学学術出版会)