生と死の学問28 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

 「それほどお金がほしいの?」

 という見かたもできるだろうけど、

 

「就業の高齢者 17年連続増加」

(TBSニュース)

   https://news.tbs.co.jp/

 

 「高齢者が増えたから就業の高齢者も増えただけ」ととらえることももちろん可能でしょうけど、

 「高齢者になっても働き続けなければ生きていけない」とか「働いていた方が健康のためによい」という自分勝手な理由の高齢者もいるでしょうけど、それらの考え方はそのまま「高齢者が増えることの是非」という議論にまで行き着くと面白いようにも思われるのです。

 

「彼女は患者自らが死を受容するまでにたどる過程は、次の五段階に分けて考えることができると結論付けた。

1. 否認と隔離 2.怒り・激情・妬み・憤慨 3.取引 4.抑うつ 5.受容

 このような心境に到達した患者は延命治療を拒否することもある。」

 (「死生学」東京大学出版会)

 

 エリザベスの「死への5つのステップ」は、

 何も死に関してだけでなく、マトモな人間であれば

 人生全般・日常的に使用しているツールであるとも思われます。

 

1. まず現状に対しての懐疑・否認・拒絶

2. 現状に対しての不満・怒り・妬み・憤慨

3. 現状を変えるための取引・知識の会得・経験者へのインタビュー等々を通して、今後のギブ・アンド・テイク的戦略

4. 現実は理解し、結論も出て、解決したかにみえる現状でも、心がそれについてゆけず、正邪・善悪・正義・公平等々の美徳とのギャップにより、心がダメージを受け、

躁鬱を繰り返すような病的症状が現れる。

5. これら4つのステップを得たのちに、人間はすべてを受容できるようになる、あるいは、そうなれば良いとも思われるフロー。

 

 (「ライフ・レッスン」エリザベス・キューブラー・ロス

             &デーヴィッド・ケスラー) 

 「こころのルール・ブック 11」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12456679851.html

 

 初めに疑問・懐疑ありき、

 哲学することは心の安寧を得ること。

 

「私自身が、死後の生を信じられたらよいだろうとは思うものの、そのように思うことができるすべを考え付くことができない。

 また学の側にしても、人々がこんなことを思っていた、思ってきたという記述を超えるものであれば、それをどのように考えるのかを言わねばならないが、過去はともかく現在、そのことについて何事かが言われているように思えないし、何か言いようがあるのか、それがわからないということだ。」

 (「死生学」東京大学出版会)

 

 「信じる者は救われる」とは

  まさにこのことのようです。

 何の根拠も証拠もないものを信じられる人は幸いであるのかも知れません。

 

 しかしながら、論理的・哲学的・真実真理の探究においては、上記にあるように、またはソクラテスのいう寸言法という論理・弁論術が必要となってくると思われます。

 

「知恵愛の営みは、このようなあり方、すなわち、スパルタふうの一種の寸言法の形をとっていたということを申し上げたかったからにほかなりません。」

(「プロタゴラス対話篇」プラトン)

 

「ヒエロス・ロコス 8」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12561490851.html