ホモ・デウス30 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

  幸運なのか不運なのか

 

「米フロリダ州オーランド在住の18歳の女性が

 1ドルのスクラッチくじを購入し、

 生涯続く年金を当てたことが26日までにわかった。

 年金額は毎年2万6000ドル(約290万円)。」

 (CNN Day Watch)

 https://www.cnn.co.jp/fringe/35104803.html

 

 これでは18歳にして

 労働意欲も労働の喜びも薄められてしまうのではないでしょうか。

 労働意欲も労働の歓びも薄められてしまうということは、

 人生そのものが薄められてしまうということでもあいそうで、

 彼女の今後がとっても気になってしまうのは、僕が老いぼれオンボロで時間だけは潤沢に持ち合わせているジジィであるからだとも思われます。

 

 人間、何が幸せで

 何が不幸であるのかなんて、

 まったくわからないものだと思わざるも得ぬニュースなのでした。

  

 閑話休題

 

人間は神になろうとでもしているのだろうか?

その場合の神とは、全能という意味の神なのか、

それとも宇宙、自然の摂理を司る真理という意味の神なのか。

 

いずれにしても、

それらは人間が考え得る概念の一つに過ぎない。

 

この、人間が考え得る、という人間至上主義、

それが正であるのか邪であるのか、

それとも美徳でとなるのか悪徳となるのか、それは今のところ誰にもわからないことでもあるようです。

 

「経済成長の『より多くのもの』という信条は、社会の平等を維持したり、生態の調和を守ったり、年長者を敬ったりといった、経済成長を妨げかねないことはすべて一切無視するように個人や社会に強いる。」

 (「ホモ・デウス」ユヴァル・ノア・ハラリ)

 

 経済成長は人間的な成長の妨げとなる。

 なぜなら、経済成長は、人間的な心を

 すべていっさい無視するように促すからだということのようです。

 

 ホモ・サピエンスは、

 知恵を持った人間であるから、

 古代ギリシアあたりまでは智慧を持って、人間の心を神に近づけたいと願っていた。

 ホモ・デウスは、

 神に近い人間となることを標榜するけれど、

 その根底に経済を置いてしまうような人間では、到底、神になどなれない、あるいは、なってはいけないのかとも思われます。

 

「最近のゲームは中世や石器時代、あるいは空想の妖精の国などを舞台にしているものの、原理はいつも同じで、きまって資本主義に基づいている。

 必勝戦略はたいてい、非生産的な必需品には最低限の投資をする一方で、生産的な資産を最大化することだ。

 この戦略さえ守り抜けば、ゲームに勝つことが可能になる。

 しかしながら、ゲーマーが現実に幸せになることは少なく、彼らは人間的成長期における徳を身に付けることもなく、彼らが知性と教養を身に付けることもない。」

 (「ホモ・デウス」ユヴァル・ノア・ハラリ)

 

中世を舞台にしたゲームで遊ぶよりは、

中世の文武両道(ナイト)の実践、

空想の妖精の国で遊ぶよりは、実生活で愛する人と過ごす日々のほうがはるかに幸福は実感できるような気もしないでもないのです。

 

「2006年、日本では国家主義者で経済信奉者でもある安倍晋三が総理大臣に就任し、漫画とアニメ信仰で知られる麻生副総理と共に、歴代1位の長期政権を築き始めた。」

 (「ホモ・デウス」ユヴァル・ノア・ハラリ)