世界が存在するのかしないのか、のその前に、
コロナの収束はあり得るのかそうでもないのか、
ブラジル型・フィリピン型・南ア型にインド型、N501YにE484K、挙句の果てにはアルファ株・ベータ株・イータ株にカッパ株・・・変異の区分けも名称もゴチャゴチャになりつつあるのは老いぼれジィさんの僕だけなのでしょうか。
アフガン問題に天候異変アメリカの山火事問題等々、問題山積みの世界において、
僕にとっての最良の爽快事は大谷翔平、この人の一挙手一投足が現代社会の救世主の如くに輝いて映るのは実に微笑ましいのです。
「その際、私たちが必ずしも常に幸福に恵まれているわけではないことは、おのずからわかる。
必要のない苦しみや不幸が存在することも事実です。
しかし、そのようなことは、人間という存在を新たに考え直し、私たち自身を倫理的に向上させていくきっかけとすべきものなのだろうと思う。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)
完全な不幸も完全な幸福も存在しない。
また、完結された不幸も幸福も存在はしない。
問題はそこから何を学び何を導き出すのか、あるいは、そこに何を問い、どのような解が考えられるのかを問い続けること、それがガブリエルの示してくれた「生きるということ」であり「人生」の意味となっていくということなのかも知れません。
「こうしたことを背景として、大切なのは私たちの存在論的状況を明らかにすることです。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)
我々の現在の状況は、
必ず変化するということ、
そしてその状況に対しての理解・分析も、すべてを統括できる思考・思想・仕方などはあり得ないということをも認識しておくことが肝要であるようです。
「人間は、この現実の基本構造に対する自らの考えに関しても、つねに変化しつづけるからである。
これに続く次の一歩は、すべてを包摂する基本構造なるものを断念することなのです。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)
自分の考えがすべてなどとは思わず、
自分の考え以外にも、
自分の考えも及ばぬ考えがあることも理解して、自分の頭の中の、「すべてを包摂する基本構造なるもの」などはないのだということを認め、それを捨て去ること、あるいは、その考えを断念することが、まず初めに行われるべき思考手順となるべきであるのかも知れません。
「その代わりに、現に見られる数多くの構造をもっとよく、もっと先入観なく、もっと創造的に、より深く、より広く、理解するべく共同体として取り組むべきなのである。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)
全員が、よく学び、よく探究し、
よく考え、よく理解すれば、
我々の共同体は、もっと良く、
もっと善くなることかとも考えられるのです。
「私たちは何を維持すべきで、何を変えるべきなのかを、いっそうよく判断できるようにならなければならない。
あらゆるものが存在しているからといって、あらゆるものが良いということにはならないからなのである。
私たちは、皆が共に途方もない探検のさなかにいる。
どこでもない場所からここに到達し、共に無限なるものへとさらに歩みを進めているさなかなのである。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)