一気に、一時的に、
秋の気配を漂わせてくれても、
それが思わせぶりで7~8日もすればまた、今度は一気に、しかも一時的に真夏を思い起こさせるような陽気が訪れたりするのは、
まるで、恋焦がれた女性に弄ばれているようで、疲れるけど、なんだかうれしい、
そんな気持ちにさえさせてくれる気候に、我々はようやくたどり着いたということなのでしょうか。
「人生の意味の問いに対する答えは、
意味それ自体のなかに存在する。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)
人は人それぞれというのが
アタリマエの前提条件として
認知されているという事実は共有されているものだとも考えられます。
それならば、
人生の意味という問いの解を求めるのなら、
まずは人生という言葉の意味を考察する必要がある。
人生という言葉の意味を問えば、一人一人の人間によって異なった答えが得られるのが真であり正でもあるようです。
さらには意味という言葉の意味を問うた場合にも、
人生と同じように尽きることもない答えが返ってくることも真であり正であると思われることから、人生の意味の問いに対する答えは、その意味全体の意味のなかにある、ということなのかも知れません。
「私たちが認識したり変化させたりすることのできる意味が、尽きることなく存在している。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)
人類が存在する以上、
存在する人間の数だけ、
意味という概念は変化したり認識したりするので、その組み合わせに依ればそれは尽きることがないほどの無限を指し示しているかのようです。
「ポイントをはっきりさせて言えば、人生とは、生きるということにほかならない。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)
生きているからこそ、
人生の概念が問われたり、
意味の意味が問われるのであって、ガブリエルに言わせれば、そのことを問うことこそ生きている証であり、そのことを問うからこそ生きている「意味」は生じてくるのだ、と思われます。
「つまりは、尽きることのない意味に取り組み続けるということです。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)
生きるということは哲学すること。
人生とは哲学し続けることであるようです。
「幸いなことに、尽きることのない意味に参与することが、私たちには許されているのだ。」
(「なぜ世界は存在しないのか」マルクス・ガブリエル)