かごにのるひとかつぐひと、そのまたわらじをつくるひと
ということわざがあります。
リハビリ・デイケアというプログラムに参加している人、
参加者を指導する人、
参加者の送り迎えの車を運転する人、
かごにのるひとは、プログラム参加者、
かごをかつぐひとは、それを指導する人、
わらじをつくるひとが、運転手、
くらいのすみわけとなっているようです。
このことわざの解釈も様々であるように、
人生も生き方も立場も人それぞれ、
が、最大公約数的にはかごにのるひとの知的レベルが高く、運転手の知的レベルが最も低いということになってしまうのかも知れません。
事実、言葉遣いが違う。
同じ70代男性でありながら、
いっぽうの人は自分を「わたし」と言い、運転手は相変わらず自分を「おれ」と言う。
他人事ながら、
なんとも恥ずかしい気持ちになってしまうのは
僕だけなのでしょうか。
「質問を考え付いたら直感的に答えを出し、
二人でその答えを検討する。
その後の14年間、共同研究は私たちの生活そのものであり、どちらにとっても生涯最高の時期となった。」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)
愛する人と、そのような時間を過ごせたなら、
たしかに、それは生涯最高の時間となるでしょう。
というよりも、イデアを目指す知的人間であれば、
誰もが憧れる、誰もが願っている時間であるとも思われます。
が、現実にはカーネマンのように、
よきパートナーに恵まれることはありえない、または奇跡あるいな稀少であるとしか思えません。
そこが哀しいし羨ましい。
「一つひとつの質問は、言ってみれば小さな実験であり、一日でい くつもの小実験をこなすことができた。」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)
そりゃ御幸せだったでしょうね。
愛する人と一日中談論していて、
それを14年間繰り返して、
さらにそれを論文にまとめてみたら、はいっ、ノーベル賞、みたいなもんですものね。
なんだか羨ましさが妬み僻みに代わってきた。
「自作の統計学的な質問に対して、本気で正しい答えを探すことは目的ではない。
ぱっと思いついた直感的な答えを突き止めて分析することが目的で、きっとまちがいだろうと思っても、直感で答えることが大事だった。」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)
カーネマンの研究は、あくまで人間の直感の
陥りやすいバイバスの要因を探り出すことで、
そこから直感と統計学と分析学の融合こそが重要であるというエビデンスに導くのが目的ですから、
わざとのように、きっと間違いだろうと思っても、わざと、直感での答えを出し合っていたのでしょうね。
なんとも楽しそうな光景です。
「こうした愉快な議論が、人が予想をするときには類似性が手掛かりになるのではないか、という考えを発展させるのに役立った。」
(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)
まさしくソクラテスの対話法ですね。
愉快な議論を楽しみ合うことから生まれる
アイデアとか創造的定義、物事の関係性のエビデンスと、陥りやすいバイアスの気付き。
なんとも素晴らしい光景です。
──ソクラテスの対話法─「メモラビリア5」──
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12563204798.html