ツァラトゥストラ13 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

 3回目の緊急事態宣言。

 「オオカミ少年の真実と嘘」という

論理哲学的議論もあるけど、

「ホトケの顔も二度三度」などという諺もある。または

「2度あることは3度ある」というマーフィーの法則的

解釈もできるのかも知れません。

 

いずれにしても「いい加減にしようよ」

「バッカじゃないの?」の状況にはあるようです。

 

不急不要の意味さえ理解できない人もいる。

ただ、じっと家にいれば良い、ただそれだけ。

それさえ我慢できぬ国民に何ができるというのか。

 

漫画大国、ゲーム王国、アニメの聖地

などと世界から揶揄されてきた国の民たちは、

所詮、稚拙で幼稚、無知で愚劣なオコチャマの塊であった

などと後世の人々に言われぬようにしっかりと、

オトナとしての国民性を示したほうが宜しいのかとも思われます。

 

「神は死んだ。

 神は一個の仮想されたものである。

 人間から、またワシから、人間とワシの領分から、

 遥かなる高空でその飛翔が奪われてよいのだろうか。」

(「ツァラトゥストラ」ニーチェ)

 

またまたフィシス、ノモスが命題となっているようです。

 

フィシス──自然の摂理論理、宇宙法則、自然本性理性

ノモス──人間の勝手な法と秩序、人間の勝手な論理倫理

 

「ゼノン 11」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12573338384.html

 

フィシスの世界観では神々は自然。

ノモスの世界観は神々は宗教の中にある

と決めつけてしまっているような気もしないでもないようにも考えられなくもないようにも思われます。

 

「神は一個の思想である。

 この思想は神父と名乗る者たちによって、一切の真っ直ぐなものを曲げ、また一切の直立しているものをくるめかせるのだ。

 だってそうではないか。

 時間は消え去り、そして一切のうつろうものはただの虚妄にすぎなくなるものじゃなかろうか?」

(「ツァラトゥストラ」ニーチェ)

 

ニーチェのブッダ信仰は有名ではありますが、

ここまでくると、何か病的、いや、事実、むしろ、

ニーチェは精神病院を出たり入ったりしていたのですから、しかたがないというべきなのかも知れません。天才とキ〇ガ〇は紙一重。

 

が、忘れてはならないのは、

今も昔も、精神病なるものが善であるのかそうでないのか、

精神病者の善悪、正邪を問うているのは、紛れもなく、

フィシスではなくノモス思想にあるということのような気もしないでもないのです。

 

人間が人間を罰したり、

人間が人間を精神病者であるとか異端であるとか、

決めつけること自体が精神的に尋常であるとも思われず、むしろそれは傲慢でさえあるようにも思われるときもないとは言い切れぬようにも思われなくもないのです。

 

「この意思が私を誘って、神や神々から立ち去らせた。

 いったい人間が創造すべき何物があろう?

 もし、神々が現存するのだとすれば。」

(「ツァラトゥストラ」ニーチェ)