「見た目で人を判断してはいけない」
とはいうけれど、
それでも人を見た目、
第一印象で好感を持つとか嫌悪感を抱いてしまう
というのも人の性(さが)であるようにも思われなくもないのです。
が、美しさという情動においては、
見た目も内面も、特に心の純粋性を感じ取れるか否かに
関わってくるような気もしているのかも知れません。
欧米では醜男(ぶさいく)を表す表現の一つに
「目が細い」「吊り目」等々が使われますが、
これは主に中国、韓国、日本の男を揶揄して用いる場合が多いそうです。
挙句の果てにこれを自覚できずに、やたらとオシャレ
やたらとカッコつけている男性に対して、欧米人は
やたらと嫌悪を感じてもいるようにも思われなくもないのです。
僕も日本人のくせに、この点においては生意気に
欧米人並の感覚を不必要にも
身に着けてしまっているのかも知れません。
「ゼウスの娘たちよ、我が女神たちよ、貴女方が謳われた
『美しきものは愛しい されど美しからざるものは愛しからず』
この詩が不死なる神々の口を通して語られた
真実の言葉なのでした。」(テオグニス「エレゲイア詩集」)
───「西洋古典叢書断片集/エレゲイア詩集」───
───京都大学学術出版会───
美とは精神と肉体の総合的価値観。
美の精神とは知であり、美の肉体とは女性であるようです。
「ディオティマは告げる。女神はこのように述べられたと。
『知の豊富な者が知の貧しき者に知を分け与え、美の豊富な者が美の貧しき者に分け与えること。それが性交であり美でありイデアとなる。』」
(神託伝道主・巫女ディオティマ──「饗宴」プラトン)
「アウレリウスの独り言 35」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12561424255.html
思えば多くの哲学者が引用し、
さらには学知と縁もなさそうな人々にまで
知られているプラトンの思想の中核とか根底にはイデアがあり、そのイデアこそが性と性欲、知と理想郷の姿であり、ノモスを除外しフィシスを信仰する、人間としてアタリマエの姿を表象しているからなのかも知れません。
フィシス──自然の摂理論理、宇宙法則、自然本性理性
ノモス──人間の勝手な法と秩序、人間の勝手な論理倫理
「早世の天才パスカル『パンセ』22」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12585300680.html
すべては恋人同士の中にある。
恋が人間を、恋が哲学を育む場合も
大いにあるようにも思われます。
「恋人よ、卑俗な者たちを頼んで心を打ち明けるな。
真面目な人生を成し遂げたいと望むのなら、
けっして卑俗な者たちと交際してはならぬ。
むしろ覚悟せよ、
偉人の後を辿る高潔な人生には、たいへんな労苦が伴うことを。
そして、恋人よ、
二人で手を携え、長い道のりを歩んでいくのだ。」
(テオグニス「エレゲイア詩集」)
───「西洋古典叢書断片集/エレゲイア詩集」───
───京都大学学術出版会───