より完全ならば、より永遠を保証するという信じ込みが、
我々をより豊かにしてくれるという仮説が、
真であるのかそうでもないのかは誰にもわからない仮説であると思われます。
現在の医療・社会・国家システムが
より完全であるとは、だれも信じてはいないと思うけど、
だったらそれらは、より永遠でもより我々を豊かにしてくれるなどという単純な思い込みは、むしろ、危険でさえあるとも考えられなくもないのです。
「つまり、より完全なるものがより永遠なるものであると信じることで、我々は今ここでより豊かになれるという仮説でる。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)
僕は個人的に、
文武両道・礼節こそが完全なるもので
永遠の真理へと我々を導いてくれるものだと信じています。
それは、文武両道・礼節をそれぞれが切磋琢磨し身に付ければ、
優しさ・思いやり・美徳・善・正なるものも見えてくるはず、
という僕の仮説にすぎないのかも知れませんけど、
それを信じることで我々の生活・人生が
より以上に豊かになると信じることそのものが僕の仮説であるようにも思われるからなのです。
「ジェイムズは伝統的な神学用語で言えば『我々は知らんがために信じる』と言っているのである。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)
我々は全宇宙の法則のほんのひとかけらにも及ばぬ知識しか
持っていない。我々はほとんど何も知らないに等しいということ
を理解し、それを信じることで「もっと学ばねばならぬ」という
心魂が生じ、その結果としてより豊かな人生を手に入れることも
可能になるという論説であるような気もしています。
「願望は、願望の目的が行為によって実現化されうるものである場合には、その目的を創造するのである。
例えば、人間社会においては、女性の愛への願望が、女性が実際に我々を愛するようにさせるかも知れないということを、我々は知っているだろうとジェイムズは言う。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)
愛する女性と生涯一緒にいたいという願望は、僕が彼女との日常
の行為に対して誠心誠意、彼女に尽くしていく、あるいは、
彼女への特別な優しさ・思いやり、彼女以外の人へのそのような
行為とはまた違った、彼女にだけに示す優しさ・思いやりを実践
することによってのみ、僕の願望は創造されるのかも知れません。
「永遠に生じ来たる宇宙の中では、多くの中心を通して常に活動的で、そして無用な副産物や幻想としてではなく核としての精神を有し、世界そのものが変化し、またその中での人類の活動によって再創造される。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)
「宇宙の中では」多くの銀河の中心がそれぞれあり、太陽系においては太陽であるけれど、この太陽系も天の川銀河の中心を周遊しているにすぎない。
宇宙は広大であり無限であるから、その中のほんの豆粒以下の我が地球も太陽という核を擁し、宇宙の中のほんの豆粒以下の太陽を周遊しているにすぎない。
その小さな小さな地球の中心を周遊するが如くに生活しているのが我々であり我々の人生そのものでもあるようです。
なので大切な人生・生活のなかでは無用な副産物であるカネ・地位・名誉・将来性等々は切り捨て幻想とか理想とか希望ではなく、現実に目の前の愛する人を大切にするという願望を「核としての精神」として生き、「世界そのものが変化」しようがしまいが、「またその中での」我々の生き方が「我々の活動によって再創造される」ということのようにも思われます。
「自分の偏見を組み立て直しているにすぎないのを、「思考」していると勘違いしている者が非常に多い。」
(「プラグマティズム 」ウィリアム・ジェームズ)