そろそろ、お別れの時が近づいて来ているようです。
僕も66歳で、心筋梗塞と脳動脈瘤と、
ありきたりの神経痛と鼠経ヘルニア・出血性胃潰瘍・
出血性大腸がん等々を抱えています。
が、厚生省のガイドラインによると、
飲酒と喫煙を2週間以上絶たないと、手術も治療も施してはもらえぬようです。
飲酒も喫煙も断てない依存症的性質の者にとって、
これらの苦痛は自宅で一人耐えるしかないようです。
僕が選択した道は、というか、
選択の余地もない道は、このまま自宅で飲酒と喫煙を続け、
あわよくば、そのまま死へと旅立てることです。
まだ、掲載し残した原稿も、かなりあります。
しかしながら、このような状態で、いつまで続けられるのかもわからず、とりあえず、皆様には早めのお別れをしておこうと思った次第でございます。
いままでは、好きではない言い方であり、
意識的に避けてきた文言ではありますが、
はじめて、「いままで有難う御座います」ではなく、「いままで有難うございました。」と綴らせていたきます。
「ゼウスの報復とはこのようなもの。
神は、死すべき人間のように一つ一つの事柄に立腹なさるわけではないが、
永久に見逃すことも決して許さない。
誰であれ、悪徳と不正という罪の心を抱く者を誰一人として見逃さず、最後には必ず見つけ出し明るみに出す。
ただし、当の本人が逃げ、罰を受けるのが罪のない子供らか、後代の子供たちの場合もあり、神は罪深き人間全体を見据えているからであるのである。
不正、不徳を行う者は神の敵であり、
ゼウスの怒りを買うと同時に、ひるがえって
人間全体の敵であり、
人々の怒りの対象でなければならない。」
(ソロン「サラミス」)───ストパイオス「精華集」
───「西洋古典叢書断片集」京都大学学術出版会───
我々は、不正、不徳がまかり通る世の中にけっして
流されてはならない、ということなのかも知れません。
そして再三述べさせて頂いているように、
「神さま仏さま」という表現は無知ゆえの失誤であり、
真の神はキリストでもアラーでもなくゼウスであり、
ブッダは仏として拝むものでもなく列記とした実存の人間であり、仏教に至っては宗教でさえなく純然たる哲学であるということのような気もしないでもないようにも思われなくもないようなのです。
人間の尺度は、人間が生み出した宗教が決めるものではなく、
人間の罪と罰は、人間が生み出した法で裁かれるようなものでもなく、
すべてはノモスに勝るフィシスの権化ゼウスの配下に属されるというようにも考えられなくもないようなのかも知れません。
フィシス──自然の摂理論理、宇宙法則、自然本性的指導理性
ノモス──人間の勝手な法と秩序、人間の勝手な論理倫理
「ゼノン 9」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12572070655.html
もはや、このコラムも、
どこまで掲載させて頂けるのかもわかりません。
命ある限り、意識がある限り、続けさせて頂くことを、お許し下さい。