コロナ禍、
国民に緊急事態宣言を出して、
自分は銀座のクラブを飲み歩いていた議員が、その「お詫び」として党の役員は辞職するけど議員はやめないそうです。
「お詫び」はするけど、
相変わらず、「国民の税金で飲み歩くことはやめない」
という意思表示みたいで、なんだか理不尽、なんだか府に落ちない、やっぱり国民はナメられていると感じている人々も多いようです。
政治家・官僚・公的職員等に対する
”我々の情熱的な本性は”
政治家・官僚・公的職員がロクデナシであるということを”合法的に決定するかも知れないのみならず決定しなければならない”とプラグマティズム哲学的論理では命じているようにも思われます。
「ある条件の下で我々の前に一つの選択がある場合に『我々の情熱的な本性は、合法的に決定するかも知れないのみならず決定しなければならない。』とジェイムズは言う。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)
例えば僕の場合で申し上げるとすると、
僕は年齢が僕の半分にも満たない女性と永遠に結ばれ、
なおかつ僕の最後の時間まで彼女と過ごしたいという一つの
選択を理念(仮説)として持っています。
この「情熱的な本性」は合法的に、つまりは結婚という結果で
「決定するかも知れないのみならず決定しなければならない。」
「証拠が利用できるだけ重要視される場合には、我々は希望的観測を排斥しようとする。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)
年齢が半分にも満たない女性との恋愛関係が永遠で婚姻関係
という結果につながったという証拠(事例)が少ないから、
僕は彼女との現関係を排斥しようと思うこともないとは
とても言い切れないというのが僕の本心であるのかも知れません
「しかし、証拠が無いか、あり得ない場合に、しかも我々が決定しなければならない場合には、我々は他の証拠(事例)よりも何らかの一つの証拠に基づいて決定しなければならない。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)
しかし、「証拠(事例)が無いか、あり得ない場合(状況)」
ではあるけれど、僕は僕が彼女をいま現在唯一無二の存在である
という「証拠(確信)に基づいて決定しなければならない」
のかも知れませんね。
「というのは、他に証拠(事例)となるものが全然ないからである。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベッック)
「全然ない」わけではないのかも知れません。
僕の事例に関してはあまり聞いたことがない、少なくとも僕が
半分以下の年齢差がある男女の色恋沙汰は見聞きした記憶もないだけなのかも知れません。が、「全然ない」わけではない
だろうし、広い世間にはそのようなカップルが存在していても
不思議でも驚異というほどのことでもないし、珍しいけと
「全然ない」わけではないと思い込んでいるだけなのです。
「私の世代の最大の発見は、
人間は心の持ち方を変えることによって、
人生をも変える事が出来るということだ。」
(「プラグマティズム」ウィリアム・ジェイムズ)