当コラムの読者のかたがたは、
もうすでにお気づきになっているものと思われます。
現代随一の哲学者マルクス・ガブリエル、
現代随一の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ、
それにピュロン主義的哲学者であっても、現状のコロナ禍における対処法は限られ戦略に絞り込まれている。
それでもまだ毅然とした態度、
潔い行動に打って出られぬ権力者・富裕層は、
コロナ禍にある現状においても悪徳の権化と化しているようにも思われます。
「私はこれを彼のプラグマティズムと呼び、良い言葉がないので、彼の精神的多元主義と呼ぼう。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)
多くの人は精神的に多元主義であるようにも思われます。
が、それを思考論考して自覚できるのか自覚しているのか否か、
そこにもその人の才・品性・知性が現れてくるとも
考えられなくもないような気もしないでもないようなのです。
「初めに彼のプラグマティズム全般を考察し、それを彼が宗教にどのように適用したかを見よう。
プラグマティズム主義者にとっては、真理とは概念に対して生じる何か、あるものである。概念は有効に働けば、それは真理である。
しかし、それはお金を儲けることに有効に使えると真理であるとか、それを信じると内的好感情が我々に与えられるとかを意味するのではない。
ある概念は、それが予想された通りに働けば、役に立つ。しかし、その概念が予想されたこと、或いは、約束されたことと相違すれば、それは我々の経験の中において相違が生じることになる。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)
プラグマティズムは現実主義。
お金が儲かると好感情を得られるから真理であるとは
主張しないけど、現実にその手法・思考・論法・推論が
組織内外で優であり常に採用され認められ、重宝されるような者どもの思考・論法は真理であると認定してしまいます。
概念は本来個人的なものなので、現代人の多くの人々のように、
独自の研鑽・努力・知識・経験・探求も積まずに他者の概念を
安直に取り入れてしまうような概念では成功も至幸にも
辿り着けないのはアタリマエといえばアタリマエすぎること
のようにも思われなくもないのかも知れませんね。
「ジェイムズは、その当時全く悪意に解釈されたところの比喩の中で、真理は概念の『現金価値』であると言っている。
この比喩で彼は概念を小切手になぞらえている。美しい小切手も不渡りかも知れない。君はその小切手を検査したり、どこから来たかを知ることでは、その小切手が信用できるかどうか分からない。
それを知るには、銀行へ持って行って、それだけの現金を得られるか否かを初めて知るのである。同様に概念は未来の経験の下絵であり、それには未来の経験が期日通りに支払われるか否かがかかっている。
経験は概念を保証する。即ち、もし経験が概念の約束した通りの結果になれば、その概念は真であることが示される。」
(「6人の世俗哲学者たち」ルイス・ホワイト・ベック)
僕の経験と知識から生じた僕の概念が、
約束(期待)された通りの結果を生み出せば、
それは真理であったと証明されたことになるようです。
僕は企業内外で好結果・好待遇を受けていたらしいので、
僕はついつい思い上がって、僕の全ての概念が真であると、
勘違い・お門違いしていた時期もありました。
が、今にして思えば、その概念は企業内外における人事・営利・
企業利益・若手育成に真であっただけに過ぎず、
ひとたび企業を離れてみれば、それらが如何に思い上がり・
つけ上がり・傲慢であったのかを思い知ることもしばしばなので、
そこにまた己の稚拙さを感じてしまうのかも知れません。