フィロソヒィカル・ソリューションズ16 | コラム・インテリジェンス

コラム・インテリジェンス

透き通るような…心が…ほしい

我々の現状を鑑みたとき、街中で、いつ、どのような災難に見舞われてもおかしくない状況であるようにも思われます。

 

車両、歩行者、作業現場付近等々、それぞれがそれぞれの状況において、かなりな危険が潜んでいるとも考えられます。

 

なのに僕の目には人々が油断しすぎている

ようにも映ってしまうのです。

もう少し危機感を、万が一とはいわず百に一つくらいの確率で迫っている厄災も視野に入れて安全に安心に暮らして頂きたく感じる時も多々あるのです。

 

だからといって怖れることは何もない。

ただ知恵とイメージ、事実認識と分析、現状の把握、真理を探求し続けさえしているのなら、それらの危機のおおかたは回避できる可能性もさらに高まるとも考えられます。

 

「哲学的な対話から導き出される結論の真実性については、私たちがまさに生きている、という事実としての文脈のなかで確認されます。

 言い換えれば、ある論理的な言明にどれだけの真実性・真理があるのかは、私たちがその言明によって、よく生きることができるかどうかにかかっているのです。

 形而上学的な命題、美的な判断についても、同じように考えられます。

 これらの真実性・真理も、世界を理解しようとする私たちの生き方、美的なものを享受しようとする私たちの生き方、こうした生き方の文脈の中で確認されるべきものです。

 その真実性は、単に私たちの経験感覚だけでなく、私たちの人生全体の経験と照らし合わせて確かめられなければなりません。

 このような点での検証の原理、確認の根拠は、私たちが生きているということ、そのことの内にあると言わなくてはなりません。」

(「哲学の話」パク・イルゴン)

 

哲学の徒においては、今現在、自分が生きているという事実と、今後、その哲学的言説・論理に従って生きれば良き人生が送れるという確信と実践によって検証し続けなければならないということなのかも知れません。

 

「何事も始めるというとことが肝心です。古代ギリシャの諺に『始めは全体の半分』というのがあります。アリストテレスは『始めは全体の半分どころかほとんどすべてである』と言って『始めること』の重大さと重要性を説いています。(「ニコマス論理学」アリストテレス)

『始めること』はその後の人生の事柄に大きな影響をおよぼすからです。」

(「哲学の話」パク・イルゴン)

 

哲学も何はともあれ始めることが大切なようです。

 

「哲学は何から学び始めて何かから知識を積み重ねていくようなものではなく、人間が思考する、考察する、観察するということを考えることが原点にあり、哲学が見失われるなら、何をしても空虚で、結局人生はいわば砂上の楼閣のようなものになって、徒労に終わりかねないのです。」

(「哲学の話」パク・イルゴン)

 

我が国の現行教育制度では、年号、地名、人名、作品名等々、丸暗記の領域が知識と考えられがちですが、欧米ではこのようなシステムは採用されません。

 

何を?どうして?なぜ?どう思うか?が重要な教育制度として、思考すること、自分で考えること、自分で判断できるオトナに育てることが教育であるという認識であるようにも思われなくもないのです。

 

我が国では考えぬ国民、扱いやすい愚者が、政治家・官僚・公的職員等々によって有益であり都合も良いので、国民は考えぬ愚者としての教育を強いられているようにも思われます。

 

「現在の日本の中学や高校では、哲学という科目はないでしょう。この科目の選択がそもそもの問題であったのです。」

(「哲学の話」パク・イルゴン)